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【特集】五輪 あのとき

森千夏、聖地に残した熱投

◇短過ぎる26年の生涯 2004年アテネ

 五輪の聖地とされるギリシャのオリンピア。2004年アテネ五輪で陸上砲丸投げの予選は、古代オリンピックの遺跡「スタディオン(競技場)」が会場となった。森千夏は、そこで戦った最初で最後の日本人アスリートになるかもしれない。

 灼熱(しゃくねつ)の下、懸命に投げた。自身が持つ日本記録の18メートル22に遠く及ばない15メートル86で予選落ち。五輪の直前、原因不明の下腹部痛が起こり、発熱もあった。持てる力を振り絞ったが、「悔しい。はい上がるところから、もう一度やる」。身上の飽くなき向上心をにじませた。

 05年夏、虫垂付近に原発性悪性腫瘍が確認された。症例がまれな虫垂がん。オリンピアの熱投から約2年後の06年8月9日、26歳で生涯を閉じた。

 東京高、国士舘大で鍛えられ、第一人者に成長。ただ、世界レベルにはほど遠かった。高校の恩師に、五輪など世界を経験した他種目の選手から話を聞くよう促され、実行して意識が変わった。

 03年には、砲丸投げでは日本勢として初めて世界選手権に出場。予選敗退をバネに1カ月後、アジア選手権で日本記録を更新したが「思い通りの投げ方ではなかった」と、ひたすら前へ。04年4月に初めて18メートル台に乗せ、6月の日本選手権を経てアテネ五輪の切符をつかんだ。

 走り幅跳びの池田久美子は同学年、同じ実業団(スズキ)所属の親友。アテネ五輪代表最終選考会の南部忠平記念でラストチャンスがついえた。森も出場し、報道陣に「久美ちゃん、どうでしたか?」。結果を知り「そうかぁ」と声を落とした。

 森の告別式。池田は弔辞で「森ちゃん、悲しいよ…」。涙が止まらない。その年、5月に6メートル86の日本新をマーク。闘病中の森に背中を押されるように地力をつけた。森の日本記録は今も残る。「早く破って」。後輩たちに、そんなエールを送っているのではないか。(2020.5.11)

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