◇重圧はね返した北島 2004年アテネ
強気で鳴らす男が泣いた。2004年アテネ五輪の競泳男子100メートル平泳ぎ決勝。好敵手ブレンダン・ハンセン(米国)とのデッドヒートを0秒17差で制した北島康介は、待ち受ける報道陣の前に姿を現すと、肩を震わせて涙した。
レース直後のテレビインタビューでは「チョー気持ちいい」。流行語大賞に選ばれることになる名せりふで感情を爆発させたが、泣かない男の涙が当時21歳の北島にのしかっていたプレッシャーの大きさを物語った。
03年世界選手権の男子平泳ぎで2種目制覇を達成。勝っただけではない。100メートルも200メートルも世界新記録を樹立する強さを見せ、アテネ大会の金メダル最有力候補にのし上がった。
ところが、五輪イヤーは膝のけがなどに悩まされて記録を伸ばせず、調整も遅れた。平井伯昌コーチは「現状では200に絞らざるを得ない」と危機感を募らせた。一方、ハンセンは7月の米国代表選考会で2種目とも北島の世界記録を塗り替えた。本番まで1カ月と迫り、立場は完全に逆転した。
厳しい状況でも、北島は持ち味の大きく伸びる泳ぎを取り戻すため、200に重点を置いて懸命に練習を重ねた。結果的には、この200重視の作戦が功を奏し、ハンセンと渡り合えるだけの状態に仕上がった。そして、レースでは類いまれな勝負強さを発揮。ライバルに打ち勝った北島は「全然覚えていない」。それほど集中力は研ぎ澄まされていた。
3日後の200メートル平泳ぎは五輪新記録で圧勝。08年北京五輪では100メートルで世界新記録をマークして2連覇を果たし、「何も言えねえ」と再び名せりふ。200メートルも快勝し、五輪2大会連続の平泳ぎ2冠を達成した。100、200も専門性が増した現在、2冠は至難の業と言える。北島の偉業に肩を並べるスイマーは、しばらく出現しないだろう。(2020.4.29)
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