◇女子バレー・中田最後の挑戦 1992年バルセロナ
勝負どころの第3セット。日本は13―10から微妙な反則の判定でサーブ権を手放すと、5連続失点でセットを失う。第4セットは終始、ブラジルのペースだった。
1992年バルセロナ五輪女子バレーボール準々決勝。試合開始から会場にサンバが鳴り響いた。踊る相手応援団。バレーはリズムのスポーツだ。日本は、自分たちの攻撃に全く合わないリズムに巻き込まれていった。
女子バレーの一つの完成形をつくり上げたブラジルも、当時はまだ粗かった。その相手に、中田久美最後の五輪がこんな形で終わるのか―。
「誰も喜びませんでしたもんね」と振り返る84年ロサンゼルス五輪の銅メダルは、18歳の時。次があると誰もが思ったが、86年に右膝の大けがをして、選手生命の危機を乗り越えて挑んだソウル五輪は4位だった。
92年当時の女子バレー界は混戦で、五輪切符獲得に苦戦したが、出場すればメダルも狙えた。今度は銅でも「おめでとう」と言われるだろう。大会前、中田にそう向けると、少し考えて答えた。
「やっぱり、お疲れさまって言ってもらうのが一番いいよ」
金を期待された84年とは違うと分かっていても、表彰台で隣の金を見たら、きっと悔しい。だから今までトスを上げ続けてこられた。だが、サンバにかき消されたメダルへの道。試合後、膝を抱えるようにして泣いた。
前回リオデジャネイロ五輪の後、東京五輪でメダル奪回を狙う日本代表監督に就任した。昨年のワールドカップで中国に完敗した後のこと。時代の変化も日本の現在地も十分理解してなお、中田久美は中田久美であることが、ぬれた目尻に見て取れた。(2020.5.7)
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