会員限定記事会員限定記事

【特集】五輪 あのとき

失意の胸に銅メダル

◇女子バレー、初めて逃した決勝 1984年ロサンゼルス

 女子バレーボールが採用された1964年東京大会の金以来、日本のメダルは金か銀だった。日ソ時代が終わり、郎平を擁する中国に日本と米国が迫る力関係で迎えた84年ロサンゼルス五輪。

 1次リーグのB組で米国が中国に勝ち、A組1位の日本は準決勝でB組2位の中国と対戦することに。前年秋のアジア選手権では快勝しているが、84年に入って2戦2敗。同じアジアバレーに高さを加えた中国は、パワーの米国より戦いにくい。

 米国に勝った勢いで決勝に臨む目算が狂った。のちに米中談合説も流れた組み合わせのあや。

 戸惑いか、気負いか。1時間20分のストレート負けだった。「中国はミスが少ないし、日本は攻撃も決まらなくて」。江上由美主将の青白い顔が、深い悲しみを物語った。

 江上、森田貴美枝、三屋裕子の「3人娘」は20代半ば。集大成だった。山田重雄総監督は「花の散り際ともいかなかった。もう少しいい勝負をさせてやりたかった」。嫁ぐ娘に何もしてやれない父親のような顔で、隣の江上を見た。

 失意の中で3位決定戦に勝って銅メダル。江上は引退した後、88年ソウル五輪を前に復帰する。結婚して丸山姓になっていた。だが、ヤマ場の微妙な判定が響いて4位。

 92年バルセロナ五輪直前、ロスのメダルはどうしたか聞いた。「ずっと実家に置いてあったのを、最近こっち(自宅)へ持って来たんです。何だかとても大切なものだなあと思えてきて」

 栄光の歴史を背負い、青春を懸けた証しとしてメダルが輝き始めるのに、8年がたっていた。後輩たちが同じ銅で嵐のような称賛を受けるのは、さらに20年後のことだ。(2020.5.5)

新着

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ