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【特集】五輪 あのとき

壮絶ゴールにもぼやけた議論

◇初めての女子マラソン 1984年ロサンゼルス

 1984年ロサンゼルス五輪で初めて行われた女子マラソン。8月5日、残り選手も少なくなって、コロシアムへ帰って来たガブリエラ・アンデルセン(スイス)の姿に、大観衆は息をのんだ。

 足を引きずり、上体を大きく揺らし、今にも倒れそうに一歩、半歩と進む。やがてごう音のような声援が起こった。

 「ゴー! ゴー!」

 意識もうろうとしながら係員の制止を拒み、39歳はゴールへ倒れ込んだ。

 大会前から暑さは課題だった。レース終盤の気温は30度近かった。今よりずっと低いが、スタートは午前8時。コースにはシャワーが設置され、12人の医師が配置された。

 翌日、銀メダルのグレテ・ワイツ(ノルウェー)は「止めるべきだった」と批判したが、アンデルセン自身は笑顔で「最後は覚えていないわ。でも私は大丈夫」などと語り、注目を浴びて戸惑った。国際オリンピック委員会(IOC)も、脱水症状を覚知しつつ危険はないとした現場の判断を支持した。

 そこには、女子にマラソンは無理だと言われたくないとの思いがあった。ロスは女子の種目が増えた大会であり、五輪には、28年アムステルダム大会で女子の陸上に当時最長の800メートルが採用され、人見絹枝らが倒れてその後しばらく実施されなかった歴史もある。

 ロス五輪の後も選手の身体能力、トレーニング法や水分補給法などが進み、猛暑のマラソンは続いてきたが、地球規模の気温上昇はその上を行き、昨年はじけたように起きた東京五輪のコース変更騒動。女性のスポーツ進出に水を差すことなく、問題を整理して真夏の五輪を論ずる機運が、84年当時はまだなかった。(2020.5.4)

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