◇東西冷戦とボイコット 1984年ロサンゼルス
1984年5月8日深夜(日本時間)、ソ連がロサンゼルス五輪の不参加を表明した。前回モスクワ五輪を米国、日本など西側諸国がソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してボイコットしたことへの報復だった。
女子バレーボールのソ連代表は、日ソ対抗で来日中だった。ソ連の選手は日頃から、感情を抑えるよう訓練されている。報道陣の前で動揺を見せず、団長は「きょう(9日)はわが国の祝日(戦勝記念日)だ。選手の顔は明るい」と言ったが、日本バレーボール協会の松平康隆専務理事は「監督がぼうぜんとしているそうだよ」と明かした。
4年前、ソ連が水面下で手を尽くしたこともあり、最終的に米国に従った国は、実は思惑のほぼ半分にすぎない。
日本でも、バレー協会はソ連との太いパイプがあり、独自に個人資格で参加する道を探ったが、かなわなかった。参加も不参加も、最後は政治。松平専務理事は「やり切れないね」と黙り込んだ。
ロス五輪もソ連に同調しなかった国が少なくない。7月28日の開会式。ソ連に対して政治的立場の弱かったルーマニアの選手団が敢然と姿を見せると、大歓声が起きた。国際オリンピック委員会(IOC)復帰後、夏季五輪初参加の中国もいた。
陸上のカール・ルイス、体操のメアリー・ルー・レットンら米国勢の活躍に沸いた大会。閉会式にフアン・アントニオ・サマランチIOC会長の声が響いた。「サンキュー、アメリカ!」
戦争も冷戦も、政治に屈するもあらがうも、相手は人間。そして当時の五輪にはまだ、熱狂と感動で「影」を忘れさせる瞬間があった。コロナを相手にする今回は―。(2020.5.3)
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