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【特集】五輪 あのとき

【最新】欧州で輝いた「サムライ」

◇太田が起こした波、団体でも 2012年ロンドン

  五輪史上、フェンシング団体では日本にとって初のメダル。剣先の一瞬の突きが勝負を決める競技と同様に際どい展開だった分、歓喜は大きかった。

 2012年ロンドン五輪の男子フルーレ。勝てば銀以上のメダルが確定するドイツとの準決勝だった。優勝候補の一角を相手に最後に登場したエース、太田雄貴は一度は逆転を許しながら、残り1秒で同点に追い付いた。

 1分間の延長戦も綱渡り。先に2度、相手に得点ランプが点灯したが、その都度、ビデオ判定で取り消された。そして3度目。今度は両者にランプがともり、勝利の女神は日本にほほ笑んだ。

 延長戦の会場の雰囲気は異様だった。日本に不利な判定が出ると、会場からブーイングが飛んだ。欧州での大会で「ホーム」の利は相手にあったはずだが、それだけ日本の戦いぶりが共感を呼んだ。英国人がアンフェアを嫌う国民性だったことも味方したか。「厳しい試合だったが、観客が後押ししてくれた」。08年北京大会個人銀に続くメダル獲得となった太田は、安堵(あんど)感を漂わせた。

 この競技はかつては長身でパワーのある欧州勢が圧倒してきたが、ルール変更などの影響で小柄な日本人のカウンター戦術も生きるようになった。日本協会も代表チームの長期合宿敢行や、名より実を取った外国人指導者の招聘(しょうへい)と、戦略的に強化策を打った。個が卓越した太田が起こした波をさらに大きくした意義は大きく、現在にもつながっている。

 ロンドンへ出発前、選手たちはコーチの計らいで黒澤明監督の名作「七人の侍」を見た。決勝ではイタリアに完敗したが、中世ヨーロッパの「騎士道」の精神を重んじる世界で、日本の「サムライ」が見せた存在感だった。(2020.6.28)

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