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女子が担ってきた日本の先陣 五輪メダル1号物語

大会前半の競技に掛かる期待

 日本オリンピック委員会(JOC)は、金メダル30個を東京五輪の目標に掲げている。なかなか高いハードルだが、大会の早い段階で「1号」が出ることによって、日本選手団全体に弾みがついたり、選手に掛かる「初メダル」の重圧が和らいだりすることも、メダルラッシュの一つの要因になる。過去の日本勢メダル1号はいつ、誰が手にして先陣を切ってきたか。1964年の前回東京五輪から2016年リオデジャネイロ五輪までの13大会を振り返ると―。

 リオ大会は競技が本格的に始まった第2日に、柔道女子48キロ級で近藤亜美が銅メダルを獲得し、日本のメダル1号となった。金1号も同じ日、競泳男子400メートル個人メドレーで萩野公介によってもたらされた。個人メドレーの金は日本水泳界初の快挙でもあった。

 時間差で1号にはならなかったが、同じ日に重量挙げ女子48キロ級で三宅宏実も銅メダル。腰や膝の痛みと闘いながらロンドン大会の銀に続いて表彰台に立った姿は、同じように苦難を乗り越えてきた日本選手たちを勇気づけた。

 五輪の主な競技は競泳が大会前半、陸上が後半などと日程がおおむね定着している。1号の期待を担うのは前半に行われ、各種目が1日か2日で決着する個人競技が多い。柔道が前半になったのは92年バルセロナ大会からで、次のアトランタ大会以降は萩野と00年シドニー五輪競泳女子400メートル個人メドレーの田島寧子(銀)を除いて金1号、メダル1号はいずれも柔道。それもほとんど女子が獲得している。

 08年北京大会では、女子48キロ級の谷亮子の銅がメダル1号で、金1号は翌日、男子66キロ級の内柴正人だった。谷は田村姓だった00年シドニー大会で初の金メダルを獲得すると、結婚後の04年アテネ大会も勝ってともに金1号となっている。北京でも勝てば3大会連続金1号だったが、惜しくも果たせなかった。

 96年アトランタ大会は重い階級から順に行われたため、第3日に女子72キロ級の田辺陽子が銀でメダル1号に、第5日の女子61キロ級・恵本裕子が金1号になった。

 バルセロナ大会は第3日に競泳女子200メートル平泳ぎで、14歳の岩崎恭子が優勝をさらって金1号、メダル1号となった。競泳の五輪史上最年少金メダリストが、あどけない顔で発した「今まで生きてきた中で一番幸せ」のコメントは、「名言」として日本の五輪史に残っている。

 前回東京大会以降で金1号が最も遅かったのは、88年ソウル大会だ。大会も佳境に入った第8日、競泳男子100メートル背泳ぎで鈴木大地がようやく真ん中に日の丸を揚げた。

 決勝は夜。病の床にあった昭和天皇の重体が伝えられ、国民が回復を祈る中で行われた。NHKの実況で「鈴木大地金メダル!」と叫んだ島村俊治アナウンサーの裏返った声を覚えている人も多いだろう。

 ソウル大会のメダル1号は第3日、射撃女子スポーツファイアピストルの長谷川智子(銀)で、64年東京大会以降では初めて女子がメダル1号となった。これ以降、長谷川を含めのべ10人の女子選手が金またはメダル1号となっており、もっぱら女子が日本選手団の先陣を切っている。

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