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飛行学校から特攻へ 唯一残る陸軍桶川分教場

特攻機に同乗した整備員

 埼玉県桶川市川田谷の荒川沿いに、黒ずんだ古い建物がたたずむ。現在も戦時中の姿をとどめる熊谷陸軍飛行学校桶川分教場(桶川飛行学校)だ。70年前、ここから特攻基地の知覧(鹿児島県)に向かった特攻機の整備をした男性が、当時の様子を後世に伝える活動を続けている。

 1945(昭和20)年4月5日、陸軍初の練習機による特攻となる第七九振武特別攻撃隊の12機が次々と飛び立って行った。飛行機は2人乗りの九九式高等練習機。このうち6機の後部座席には整備員が同乗していた。その一人が当時19歳だった「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」理事の柳井政徳さん(89)だ。

 柳井さんは、3歳年長の山本研一少尉に同行した。桶川から各務原(岐阜県)を経て小月(山口県)へ。ここで一泊し、知覧へと向かうルートだった。途中の京都上空で、山本少尉は後部座席の柳井さんを振り返ってにっこりとし、機の高度を下げた。

 「そうだ。京都は少尉の出身地だったな」。銭湯らしき建物の物干し台で手を振る人たち。機は低空で2、3回旋回した後、編隊を追い掛けた。山本少尉の「別れのあいさつ」に、柳井さんは胸が詰まる思いがしたという。

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