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金字塔に迫る両雄 指導者が明かす田中、坂本の原点

あうんの呼吸…といかず

 チームメートの同級生には一人、体格も技術も抜けていた中心選手がいた。本来ならエースで4番。山崎さんによれば、「彼を100点としたら、田中と坂本は95点ですかね」。ところが、6年生になる直前の春休みに木登りをしていて転落し、肋骨(ろっこつ)を折るけがをしてしまった。そこで急きょ、坂本が主戦投手に回り、昆陽里タイガースでのラストシーズンに「坂本―田中」のバッテリーが誕生した。

 ただし、あうんの呼吸とはいかない。山崎さんが、ほほ笑みながら述懐する。「いやあ、性格やタイプが正反対でしたからねえ」。放課後、練習が終われば田中は大体、すぐに帰宅する。坂本はといえば、ウマの合う何人かの仲間と「親分肌」でたむろしていたという。

 坂本は6年生に進級するにあたり、自薦で当然のように主将にもなった。山崎さんは「試合で田中が不満そうに『(坂本が)サイン通りに投げてこないんです』とこぼしたこともありましたね」と苦笑いする。僕が大将なんだから―。そう言わんばかりの、坂本少年の意地が見え隠れしていたのかもしれない。

◇甲子園、そしてプロへ

 二人は中学でボーイズリーグの異なるチームに所属し、高校は田中が北海道の駒大苫小牧、坂本は青森の光星学院(現八戸学院光星)へ。田中は甲子園で言わずと知れた大活躍を見せた。2年生の夏は優勝投手になり、3連覇を狙った3年夏の決勝では東京・早稲田実の斎藤佑樹投手(現日本ハム)と投げ合い、引き分け再試合の末に惜敗して準優勝。世代トップの存在となった。

 坂本は3年生の春に選抜大会に出場。田中に比べると高校時代の実績は目立たないが、攻守でプロのスカウトから高く評価された。ともに高校生ドラフトの1巡目指名で田中は楽天、坂本は巨人に入団した。

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