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金字塔に迫る両雄 指導者が明かす田中、坂本の原点

努力型の田中、天才肌の坂本

 偶然か、宿命か―。野球のプロフェッショナルとして今、日本人選手の最高峰にいるヤンキースの田中将大投手(31)と巨人の坂本勇人内野手(31)。二人は兵庫県伊丹市にある同じ小学校の同級生だった。同じ少年野球チームに1年生から所属し、6年生の時は坂本投手―田中捕手でバッテリーを組んだ。チームの監督を30年以上務め、かつて田中と坂本に手ほどきをした山崎三孝さん(74)によれば、二人の性格はほとんど水と油。野球に関しても「田中は努力型、坂本は天才肌でしたね」。田中は来季にも日米通算200勝に届きそうで、坂本は今季に通算2000安打を達成する見込みだ。超一流選手でも多くがキャリア晩年に到達する大記録に、若くして近づいている。山崎さんの証言を基に、両雄の原点とも言える小学生時代を探った。(時事通信社 小松泰樹)

◇ ◇ ◇

 今年2月上旬の肌寒い午後。伊丹市の昆陽里(こやのさと)小学校グラウンドで、「昆陽里タイガース」が熱心に練習していた。チームのメンバーは約50人。小学校のある校区で1チームという決まりから、全員が昆陽里小の児童だ。今も監督の山崎さんは、孫のような子どもたちを指導している。

 山崎さんは鹿児島県指宿(いぶすき)市出身。指宿高では二塁手でプレーした。卒業後、大手鉄鋼メーカーに就職して兵庫県へ。以来、伊丹市が生活の拠点となった。長男が昆陽里タイガースに所属していた関係で、保護者の誰かが務めるという慣習に基づき監督に。それまでほとんど「1回戦ボーイ」だったチームを市の大会で決勝に導くなどの手腕が買われ、定着しているという。

◇幼少の坂本に「うまいねぇ」

 田中と坂本のうち、山崎さんが先に目にしたのは坂本。「まだ5歳くらいだったですかね」。昆陽里タイガースのメンバーだった兄のお供で来て、壁に向かって投げては跳ね返りを拾い、また投げるという遊びをやっていた。見ると、結構さまになっている。「へぇー、うまいもんだね」と感心した。グラブは右手にはめている。聞けば家にあったのは左利き用のグラブだけで、おのずと左投げだ。

 1年生になって正式にチームに入団すると、今度は右投げ。右利きの兄に、お下がりのグラブをもらったのだという。幼少時に左投げ、右投げと巧みにこなした器用さは天性だったようだ。ポジションは5年生まで遊撃手。今の原型が築かれた。

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