中国の漁船を偽装したその船は、度重なる停船命令を無視して9時間に及び洋上を逃走、接舷しようとした日本の海上保安庁巡視船に攻撃を加え、激しい銃撃戦の末に自爆し、乗組員もろとも海中に沈んだ。
2001年12月、鹿児島県奄美大島沖の東シナ海で起きた工作船事件。翌年に北朝鮮が関与を認めたこの事件は、四方を海に囲まれた日本が、周辺国からの強い脅威にさらされている現実をまざまざと見せつけ、社会を震撼(しんかん)させた。
銃撃戦では海上保安官3人が負傷、巡視船も損傷を受けた。工作船は沈没から約9カ月後に海底から引き揚げられたが、政府の想定をはるかに超える重武装船だったことも判明し、衝撃が広がった。
あの時、洋上で何が起きたのか、乗組員らが死を選んだ船には、どのような装備が施されていたのか。工作船が屋内展示されている横浜市の海上保安資料館横浜館を訪ねた。
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