だが、茶畑は虫が少ない。日本だとチャドクガという厄介な毒蛾がいるくらいである。その上、虫好きにとっては、ある意味、茶畑は不倶戴天の敵でもあるのだ。特に南国の高地での、大規模な茶畑の開発には悲しみが潜んでいる。
世界三大高級茶の産地を知っているだろうか。インドのダージリン、スリランカのウバ、中国のキーモンである。すべて、高原あるいは高地の森に囲まれた傾斜地である。熱帯の場合は、深い雲霧林を切り払って、広大な茶畑を作っている所が多い。昼夜の温度差が大きいことと霧が発生することが、おいしいお茶、高級茶が育つ条件なのだ。そういう場所は熱帯の高地の雲霧林、つまり虫の宝庫と重なるのである。
ハイグロウンティーというのは、こういう高地で生産された高級茶葉のことだ。このすてきな響きの茶の名前に、悲しさを覚えるのは昆虫記者ぐらいだろう。マレーシアの高原のキャメロンハイランドがまさにそんな悲劇の地だった。かつては深い森に覆われていた場所が、いつの間にか広大な茶畑に変わっていた。そして、虫は激減した。
台湾の蝶の名所である埔里の先の渓谷でも、大規模な茶畑の開発が進んだ場所では、蝶が激減したという悲痛な叫びが、蝶専門のサイトに書き込まれていた。
蝶より茶が優先されるのは当然だ。虫より産業が優先されるのは当然だ。しかし、ほとんど高級茶と縁がない昆虫記者としては、香り高い高級茶のために、昆虫の天国が失われていくのは悲しい。昆虫記者は、低地の低級茶で十分満足しているのだ。「違いの分からない男、昆虫記者」はそれでいいが、違いが分かるリッチでグルメな人々は、高級茶を求めるのである。
人間が作り出した一面の茶畑はそれなりに美しい。人工的な一面の花畑や延々と続く桜並木も美しいのだが、そこには、人の目を楽しませるために、自然に反して作られたという、若干の悲しさがつきまとう。そう言いながら、台湾の高級高山茶が無料で提供されていれば、狂喜してしまう昆虫記者。これが人間の弱さである。
高級茶の香りと蛾にまみれて大はしゃぎする夢を見た翌朝は、小鳥のさえずりで目を覚ます。窓を開けると一面の緑。朝日がまぶしい。「これでこそ、バケーションだ」。体と心の休暇だ。何もせず、ただ自然の声を聞き、自然の風景を目に映す。至福の時だ。
米国では、有名な観光地ではない名もなき土地に行き、何の予定も立てずに、のんびりと時間を過ごす「ドゥー・ノッシング・イン・ノーウェア」の旅を、ぜいたくな休暇の過ごし方と考える人が増えているらしい。最近、英字紙でそんな記事を読んだことを思い出す。世界中の有名観光地が、オーバーツーリズムで疲弊し、古くからの旅好きには耐えられない状態になっていることの反動かもしれない。スマホが日常を支配する現代に、全ての電子機器をしまい込み、自然以外何もない世界に浸り切るのが、ぜいたくになっているのだ。
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