「東南アジアで昆虫記者に一番似合わない国はどこでしょう」-。そんなクイズがあれば、答えは明白だ。それはシンガポール。「大正解!」と言いたいところだが、今回の昆虫記者の虫旅の目的地は、そのシンガポールなのだ。超先進都市国家でお金持ちだらけのシンガポールと、アナログ時代に郷愁を抱く清く貧しい昆虫記者は、いかにも相性が悪い。しかも、いつもの昆虫バッジ付きリュックを背負って歩いている場所は、よりにもよって同国最大のショッピング街「オーチャードロード」だ。グルメ記者、ファッションリポーターへと華麗な転身を図ったのか。しかし、そんな味覚やセンス、才覚が昆虫記者にあるとは、とても思えない。(時事通信社 天野和利)
世界中から押し寄せた観光客と、中華系、マレー系、インド系など多民族のローカリアン。それぞれの文化を背景とした多種多様な衣装が歩道を彩る。南国なので明るい色彩が多い。ファッションの中心地とあって、特に女性は美とセンスを競い合っている。その中で、探検家のような日よけ帽子に、サファリジャケットという昆虫記者の姿は、どう見ても「行く場所を間違えたのでは?」と思える危ないおじさんである。「掃きだめに鶴」ならぬ、「花園にゴキブリ」のようななものだ。人混みの中を妙にすいすいと歩けると思ったら、人々は誰もみな、怖がって道を開けてくれるのだった。
華やかなオーチャードロードには、昆虫記者が割り込める余地など全くないはずだと思う人もいるだろう。ところが、昆虫記者とオーチャードの間には予想外の重要な関連性があるのだ。
オーチャードとは果樹園のこと。かつては、南国の果物が鈴なりになった果樹園の中の、のどかな通りだったらしい。現在のオーチャードロードは一大繁華街だから虫などいない、と思ったら大間違いである。ここに蝶(チョウ)を呼ぶという前代未聞の驚くべきプロジェクトが2010年ごろに始まっていたのだ。MRTと呼ばれる地下鉄のノースサウス線オーチャード駅から、サマセット駅を経てドービーゴート駅まで、全長4キロの蝶の道を造ろうというのである。その名も「バタフライ・トレイル@オーチャード」。繁華街を色とりどりの蝶が舞うという、あり得ない光景が広がっているらしいのだ。
バタフライ・トレイルのプロジェクトでは、ショッピングセンターの花壇に加え、周辺の緑地に蝶が好む蜜源となる花や幼虫の食草、食樹を植えて、蝶の繁殖を助けている。こうした試みは当然、世界初だという。昆虫記者の夢の中にしか存在しない理想の世界のようだ。そこではショッピングを楽しみながら、虫撮りができるのだ。
映画「ミッション:インポッシブル」のイーサン・ハント風に言えば、昆虫記者の今回の重大なミッションは、オーチャードロードに蝶がわんさと飛んでいるという信じ難い情報の真偽を確かめることだ。見た目はオッサン・ハントだが、気持ちだけは名優トム・クルーズ演じるイーサン・ハントである。
バックナンバー
シンガポールの沿線虫ガイド2 海辺の名所めぐり
(19/06/04)シンガポールの沿線昆虫ガイド オーチャードは蝶の道
(19/04/01)幽霊列車とサソリと暗殺者の宿 タイ・サイヨーク国立公園
(18/12/21)タイ一番の滝とビキニと蝶 エラワン国立公園
(18/10/18)タイの虫旅は死の鉄道に乗って
(18/08/30)昆虫記者と森の秘宝 マレーシア水の都を行く
(18/07/26)マレーシア・ジャングル放浪記 天女の誘惑
(18/05/16)昆虫記者は2度死ぬ マレーシアでサソリと対決
(18/04/11)新年の誓い 上高地で打倒オオイチモンジ
(18/01/11)闇に潜む魔物たち タイ・カオヤイの旅3
(17/11/09)昆虫ラブストーリー タイ・カオヤイの旅2
(17/08/14)ゾウの糞に集う虫たち タイ・カオヤイの旅1
(17/07/14)幸せの青い蝶「ユリシス」を求めて 豪キュランダの旅3
(17/05/08)虹色のクワガタとの遭遇 豪キュランダの旅2
(17/03/16)世界の車窓から虫探し 豪キュランダの旅
(17/02/10)映画「ぼくのおじさん」と「どくとるマンボウ」
(16/10/13)トリバネアゲハと露天風呂ざんまい
(16/09/13)昆虫記者の原点 オオカブトの来る高原の宿
(16/08/05)古都鎌倉で虫詣で
(16/05/24)「横浜〜鎌倉」昆虫バイパス道<横浜編>
(16/04/27)弱肉強食の昆虫バトルフィールド
(16/03/16)真冬の昆虫押しくらまんじゅう
(15/12/21)ムササビの森でビワハゴロモと深夜の密会
(15/11/09)オランウータンの森に舞うビロードの蝶
(15/09/07)果てしなく続く擬態合戦
(15/06/30)熱帯昆虫巨大化の法則を探る
(15/05/08)微細な生物の競演
(15/04/10)昆虫写真家・新開孝さんを囲む会
(15/01/13)見ごろは晩秋から初冬
(14/12/04)三つ星の虫が続々
(14/10/27)森上信夫氏に聞くプロへの道
(14/09/11)みんなで「モス」しませんか
(14/08/04)全種の累代飼育に挑む達人
(14/07/01)助っ人は蝶館主人の熱虫人
(14/05/19)光り輝くカメムシとカッチカチのゾウムシ
(14/04/15)巨象の群れとバラ色のカマキリ
(14/01/21)特集
コラム・連載