ある夏の暑い日、埼玉県在住の木村道子さん(仮名=71)は、孤独死の現場を目撃した。「風呂場で横たわっていた姿が目に焼きつき、しばらく食事も喉を通りませんでした。やはりとてもショックでした」。その体験を少し語ってもらった。
木村さんは、自宅前にある小さな貸家の大家をしている。公務員だった義父(故人)が退職金で建てたもので、2軒長屋2棟に1戸建てが4軒。いずれも築40年以上の古い家だ。家賃は3万-5万円。住人は一番若くて56歳、あとは60-70代の一人暮らしという。
ある朝、長屋の住人が木村さん宅を訪ねてきて、「隣の部屋の犬が夜中、変な鳴き声をあげている」と訴えた。貸家は「原則ペット禁止」だったが、同長屋が新築だったころからの住人、沢田浩治さん(仮名=当時76歳)だけは前大家の義母(故人)の許可を得て、犬を飼っていた。沢田さんは「タロウ」と名付け可愛がっていたのだが、その犬が夜通し鳴いていたという。木村さんは胸騒ぎを覚え、沢田さん宅の玄関に立った。
郵便受けには数日分の新聞の束があった。ドアを開けてまず感じたのは「あ、涼しい」。壁のクーラーから、かなりの勢いで冷たい空気が流れていた。玄関すぐのところに布団が敷かれていたが、沢田さんの姿はない。顔をちょっと動かして、玄関左の浴室をのぞくと、洗い場に裸で倒れている沢田さんが見えた。
「とにかく『キャー』って叫びました」と木村さん。「死んでいる」と直感したが、家に戻りすぐ119番した。まずは救急車、ほどなくパトカーが来た。救急車が到着したとき新聞の束を動かしたのだが、「それを警察の人に叱られた」のが印象に残っているという。そして警察官には「線香を持ってきて」と頼まれたのだが、「パニックになっていたのか、どうしても見つからなかった」。木村さんが自宅で線香を探している間に警察の作業は終わったらしく、遺体は運ばれていった。
木村さんによると、沢田さんの死因など詳しいことは何も聞いていない。ただ直前の週末には、犬の散歩をしているところを見掛けているので、「亡くなってから2日ぐらい」だという。沢田さんの身寄りについては、警察などの調べで、福島県内に弟とその子ども2人がいることが判明。しかし弟は高齢者施設に入所、甥姪にあたる2人は遺体の引き取りを拒否した。本人からは生前、「昔は妻がいて、東京に住んでいる」と聞いていたのだが、かつての「妻」として賃貸契約の連帯保証人にも名を連ねていた人物が「実在していない」ことも分かった。「身寄りもいなくてかわいそうだな。タロウがみとってあげたんだな」。木村さんは感じたという。
引き取り手がいないため、死後の整理は木村さんが行わざるを得なかった。30年以上にわたり一人暮らしをしていた沢田さんだが、部屋の中は思ったより整然としていたという。壁には山歩きの仲間と撮ったらしい笑顔の写真が。普段は無口で「無愛想な人」という印象を持っていたので、少し意外に感じた。そういえば、家から少し離れた場所で、犬を連れた人と楽しそうに歩く姿を見掛けたこともある。「亡くなるぎりぎりまで元気で好きなことをして、幸せだったのかも」と、木村さんは考え直したそうだ。
それから約1年後。木村さんの元に1枚のはがきが届いた。「犬の合同慰霊祭」について知らせる内容で、しばらく首をかしげていたが、はたと気付く。沢田さんが亡くなった後、役所の担当者が残されたタロウを連れにやってきた。担当者の要請で現場に立ち会った木村さんは、タロウがおびえてヨタヨタと部屋の隅に逃げる様子、口輪をはめられた姿を見て大きなショックを受けた。その後、引き取り手が現れず、そのまま殺処分になったらしい。「かわいそうに」-。木村さんはため息をついた。
新着
会員限定