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清宮幸太郎、「育む球団でさらなる成長へ」 担当記者が見た大物ルーキー

自ら乗り越えた壁

 金子コーチが戒めとして伝えた言葉に、「簡単に覚えたことは簡単に忘れてしまう」があった。清宮はこれを、得意になって使いこなす。同コーチが苦笑しながら明かした。「一緒にノックを受けていた(先輩の)森山(恵佑)に向かって『簡単に覚えたことはすぐに忘れてしまいますよ』って言っていたんだ」

 ある日午後の練習に、遅刻しかけたこともあった。昼食のカレーライスをよそい過ぎて、食べ切るのに時間がかかったからだ。夕食では、先輩たちが先に食べ終えても、最後までマイペースで完食する。皆に置いて行かれそうになって慌てる姿も、ほほ笑ましかった。

◇首脳陣は凡退の内容重視

 「育成とスカウティング」を大きな柱に掲げ、実践する日本ハムに入団したのは、清宮にとってプラスだったに違いない。チームの方針として1年目はコーチ陣に打撃フォームをいじらせなかった。

 5月に1軍初昇格。7試合目に敵地でのオリックス戦でプロ初本塁打も放ったが、すぐに壁にぶつかった。ストライクからボールになる変化球にバットが止まらず、三振したり凡打に倒れたりで打率は1割台に低迷。約1カ月で出場登録を抹消された。その後は2軍で本塁打を量産。いつ1軍に再昇格するのか注目されたが、簡単にはお呼びがかからなかった。

 「幸太郎があれぐらい打てるのは分かっている」と栗山英樹監督は繰り返した。求めていたのは、結果よりも凡退の内容だ。球団幹部が「次に呼ばれる時は1軍の戦力になっていないといけない」と慎重だったのは、チームの基軸となる育成方針を貫いたからに他ならない。

◇自ら壁乗り越える

 3度目の昇格となった8月、清宮のバットから快音が響き渡った。5試合で3本塁打。2試合連続の猛打賞も。要因は軸足の「ため」にあった。

 緒方耕一野手総合コーチが説明してくれた。「前はすぐに打ちにいってバタバタしていた。今は右足を止めて立っている時間が長い。自分の間合いで打てている」。清宮自身も高校時代の映像を見返し、違いを探して修正。「高校の良いときは、もう少し右足が左足(軸足)に近かったと思った」。一つの壁を自ら乗り越えた瞬間だった。

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