札幌が生んだ天才・寺久保エレナのアルトサックスを聴き、久々に生のジャズの感動を味わった。共演のピアニスト山下洋輔は絶賛した。今夏で4回目の「軽井沢ジャズ・フェスティバル」のトリはこの二人だった。ステージのスピーカーの裏には、このジャズフェスを始めた音楽プロデューサー伊藤八十八(やそはち)さんの遺影が置かれていた。夫の遺志を受け継ぎ、ジャズフェス開催に奔走した妻妙子さんは2階の客席である曲を聞くやせきを切ったように涙をこぼした。今、アーティストの熱演と共に様々な場面がよみがえる。真夏のジャズフェスと、その舞台裏を報告する。(編集委員・村田純一)
正直に言おう。学生時代にジャズサークルでトランペットを吹いていた私は、同じサークルのOBだった伊藤八十八さんのことについてほとんど何も知らなかった。
その八十八さんの業績や死去を友人からのメールで知り、妻の妙子さんから取材で話を聞く機会を得た。ジャズに絡んだいろんな話を聞いた結果、真夏の軽井沢に向かうことになった。
まずは、八十八さんについて紹介したい。1946年8月8日、岐阜県生まれ。名前の由来は誕生日からで、海外では「88(エイティエイト)」とも呼ばれていた。
早大在学中、「ニューオルリンズジャズクラブ」(通称ニューオリ)に所属し、ジャズに傾倒。早大卒業後はレコード会社の日本フォノグラム(現ユニバーサルミュージック)で洋楽の編成部に所属。ポール・モーリアを売り出し、ハンク・ジョーンズ、渡辺貞夫、日野皓正らジャズミュージシャンを手掛けた。
78年にCBSソニー(現ソニーミュージック)に移り、マイルス・デイビスやハービー・ハンコックらを担当。日本のザ・スクエア、笠井紀美子、マリーンらのジャズ・フュージョン作品も生みだした。
その後、自らの名前にちなんだ会社「エイティエイト」を設立。2012年夏から始めた軽井沢ジャズ・フェスティバルはプロデュースだけでなく、自ら司会も務めた。第1回から4回続けて出演した寺久保エレナは近年、八十八さんが最も期待したアーティストの一人だったに違いない。
昨年夏の第3回ジャズフェス開催時は既に体調を崩し、病室にいて本番には立ち会えなかった。その年の11月19日、八十八さんは息を引き取った。68歳。死因は非公表とされた。
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