1973年10月22日、イチローは愛知県西春日井郡で産声を上げた。幼いころからオモチャのバットとボールを好み、父・宣之さんに連れられてバッティングセンターにも通った。小学生で既に時速120キロを超す球を打ち返していたという。
野球の名門、愛知・愛工大名電高校に進み、2年の夏に外野手、3年の春には投手として甲子園大会に出場したが、ともに初戦で敗れた。バッティングにも際立つものはなかったが、オリックスの三輪田勝利スカウトの目は確かだった。「天性の打撃センスがある」と見抜き、1991年秋のドラフトで4位指名。プロの世界へ導いた。イチローは故三輪田氏を「恩人」と呼び、今も墓参りを欠かさない。
|| 振り子打法、受け入れられず
打撃の天才も、いきなりプロで大活躍とはいかなかった。ウエスタン・リーグで1年目から首位打者になるなど大器の片りんを見せていたが、1軍にはなかなか定着できなかった。2年目も打率2割1分2厘、1本塁打。上がってもすぐ2軍に落とされ、悔し涙を流したこともある。
1軍首脳に受け入れられなかった理由の一つに「振り子打法」がある。上げた右足を横に滑らせるようにして、投手側に踏み込む独特の打撃フォーム。タイミングは取りやすいが、速球に振り遅れるという欠点もあった。2軍に落とされたイチローを励まし、鍛え直したのが河村健一郎コーチ。二人三脚で「振り子」を修正し、翌年の大ブレイクにつなげた。
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