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箱根駅伝 「W」のアンカー 瀬古とつないだタスキ

25年ぶりの総合3位

3年時、鶴見中継所で9区の走者を待つ(本人提供)

 3度目の箱根駅伝。2区でエースの瀬古が区間新記録を打ち立てたものの、前回同様に箱根山中で首位を譲ってしまった。

 鶴見中継所に到着しウォームアップを始めた。他校の選手は昨年までは私のことなど見向きもしなかったが、前回区間2位だったためか「あいつが区間2位の滝川だ」と、ささやく声が聞こえた。早稲田大は往路を走った選手も復路では付き添いをすることになっている。今回は瀬古が付き添いだった。福岡国際マラソンに優勝するなど日本のトップ選手だけに、カメラマン、記者、一般のファンらが取り囲む。もちろん私目当てではないが、こちらは着替えやトイレタイムもあり、「瀬古さん、離れた所に行ってくれませんか」とお願いした。
 9区小田が一つ順位を上げ3位で鶴見中継所にタスキを運んだ。2位順天大とは大差。後ろの4位大東大とも大差。沿道からは各所で「ワセダいいぞ! 3位だぞ!」といった声援が飛んでくる。鈴なりの沿道。箱根冥利(みょうり)に尽きる。こればかりは箱根を走った選手にしか分からないだろう。
 今回は3位をキープするのが自分の最大の使命。区間賞を狙いたいが、ブレーキを起こしては元も子もない。自重したペース配分でブレーキだけを避ける走りを心がけた。ジープ上の中村清監督からは何も指令は出ない。私は中村監督から個人的にしかられた記憶がない。自分で言うのも何だが、平素の練習から中村監督に信頼されていた。私の頭の中の作戦が分かっていて、すべてを私に任せてくれたのだ。
 25年ぶりの総合3位、区間5位。

|| 4年連続のアンカー

 最後の箱根駅伝がやってきた。瀬古が卒業し、大エース抜きで戦わなければならない。逆に「瀬古がいなくても…」という意地が部員にあった。

 どこの区間でも喜んで走る覚悟はできていた。区間配置をマネジャーが発表する。9区まで私の名前が出なかった。4年連続のアンカーに決まった。
 1区で14位と出遅れながら、私は6位でタスキを受けた。4位東農大は4分以上もはるか先、5位筑波大とは37秒の差。筑波大を捕らえるしかない。早めに捕らえて並走する作戦を取った。筑波大の選手はインターハイで活躍した合田。多少のオーバーペースは覚悟の上で合田を追った。今回もジープ上の中村清監督、瀬古OBから何の指示も出ない。6キロ付近でようやく追いついた。筑波大のジープからは「早稲田の選手は5キロを14分45秒で走ってきた。相当無理してるから大丈夫だよ」。品川駅付近のアップダウンを利用して筑波大が離そうと仕掛けてきたが、ここで離れるわけにはいかない。
 左に日比谷公園、ここで一気にスパートをかけた。中村監督からは「さー、行け! 行くんだ! 最後の箱根だ!」と檄(げき)が飛ぶ。そして「都の西北…」。私の目は潤んでいた。筑波大を大きく引き離し、全く視界になかった東農大が見えてきた。わずか4秒東農大に及ばない総合5位。区間新記録に2秒足りない1時間6分30秒だったが、他校の2人が区間新記録を出したため区間順位は3位だった。
 長い歴史の箱根駅伝で、4年連続してアンカーを務めたのは私一人しかいない。

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