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箱根駅伝 「W」のアンカー 瀬古とつないだタスキ

念願の箱根駅伝デビュー

1年時、品川駅付近をひた走る(本人提供)

 予選会2位となり、スポーツ紙は「名門早大復活へ」と見出しをつけた。あるスポーツ紙は予想オーダー表をつけて一面トップで扱った。生まれて初めてスポーツ紙の一面に自分の名前が出ているのを見て驚いた。

 12月8日に仮エントリーが発表された。この時点では最終的に走る区間ではないが、最終10区だった。本番数日前の本エントリーでも10区。正直なところ「え、このおれがアンカーでいいの」と心の中でつぶやいたが、決まった以上やるしかない。
 鶴見の中継所で9区の小田を待った。「トップ通過後○○分で一斉繰り上げスタート」という規定がある。初の箱根駅伝は、この規定に引っかかり、6校での一斉繰上げスタートとなってしまった。机上の計算で総合順位とタイムが残るが、9人の汗が染みたタスキを受け取らずに走る屈辱を味わった。
 おそらく無我夢中で走っていたのだろう。ジープ上の中村清監督の言葉も、どのような心境で走ったのかも全く覚えていない。ゴール後、同僚に抱きかかえられチームの待機場所に運ばれたことが記憶に残っている。
 総合順位は6位、区間9位だった。中村清監督は「瀬古以外はイモ選手。イモ選手はもっと努力しなさい」そう言った後、「もう来年の箱根が始まっている。ここから千駄ヶ谷(中村監督宅)まで走って帰りなさい」。10選手の中でゴール後最も時間が経っていないのが私。時折歩きながら何とか中村宅にたどり着いた。

|| つながったタスキ

 2度目の箱根駅伝。1区石川が3位と快走、2区でエースの瀬古がトップに立ち、5区の途中まで首位をキープした。名門復活にNHKラジオの中継も熱が入った。

 中継担当の北出清五郎アナウンサーは「現在(4区)1年生の井上君が走っていますが、トラックの記録はあまりよくないですねえ。まあ、早稲田の選手は、中村監督に言わせますと、瀬古を除けばイモ選手ばかり、と言っておりました。しかし、とにかく努力だ、と。努力は無限の力を引き出すというのが、中村監督の信条なんですが、タイムはそれほどのものを持っていない選手たちが、本当に、波に乗ってきましたですねえ」(黒木亮著「冬の喝采」から抜粋)と実況した。
 その後、徐々に順位を下げた早大だが、9区の小田が5位から4位に順位を上げ、鶴見中継所に姿を現した。前回はここでタスキがつながらなかった。最後までタスキがつながってこそ駅伝。小田の最後の力走を見て、涙ぐんでいた自分を素直に受け入れた。つながったタスキは汗が染みわたり、心地よい感触だった。
 前方3位をいく大東文化大、後ろに迫る日本大。大東大を抜くのはとても無理なタイム差だ。ここは後ろの日大にすきを与えない作戦を選択した。昨年とは違い至って冷静な自分を認識すると、過度の緊張感がすーっと抜けていった。ペース配分は慎重ながら、5キロ以降からペースを上げ、後続選手の戦意をそぐことに成功した。
 総合4位、区間2位だった。

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