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箱根駅伝 「W」のアンカー 瀬古とつないだタスキ

「修行僧」瀬古利彦の素顔

鶴見中継所で。瀬古(左端)が付き添いについてくれた(本人提供)【時事通信社】

 福岡国際マラソン4勝、ボストン・マラソン優勝、ロサンゼルス五輪・ソウル五輪代表など輝かしい実績を残した瀬古利彦。大学2年生の福岡国際5位、3年生の福岡国際で優勝、4年生で福岡国際2連勝。日本のトップランナーとなった瀬古も箱根駅伝への想いは我々と同じだった。

 12月上旬の福岡国際をこなしながらも、箱根では早稲田大の伝統と我々仲間の気持ちを背負って走った。特に2年生時は11月20日に箱根の予選会を走り、12月4日は福岡国際、そして1月2日は箱根駅伝の2区。「個人レースだったら、ペースを落としていたかもしれないが、箱根はそうはいかない。後続の選手のため、エントリーから外れた選手のためにも1秒でも貯金を増やしたい。そういう気持ちで走れるのは箱根駅伝だけ」。現役引退後、瀬古はこう語っている。
 現役当時、練習しているときの瀬古は「修行僧」のように言われた。一緒に練習していても、走っている瀬古は私の目からも修行僧のような形相だった。マスコミの前でも背筋を伸ばし、毅然(きぜん)とした表情を崩さなかった。「近寄りがたい」といった雰囲気が周囲に漂った。
 しかし、中村清監督、マスコミ、ファンの目が届かない場ではユーモア好きの瀬古に変わる。合宿での夕食時などは、瀬古と私で駄じゃれ合戦をやって、周囲を笑わせたものだ。つかの間ではあるが、人間・瀬古に戻っている。今でも年に2~3回、瀬古と飲む機会があるが、昔のように駄じゃれや冗談を言い合っている。ちなみに瀬古が入学時の「新歓コンパかくし芸」の出し物は、山本リンダの「こまっちゃうナ」だった。

|| 最初で最後の箱根予選会

 私が早大に入学する前年の箱根駅伝は13位。1年生時は予選会を通らないと箱根には出場できなかった。出場15人中上位10人の合計タイムで競い、上位6校が箱根の切符を手にする。一斉スタートで距離は20キロ。この予選会のプレッシャーは想像以上のものだった。

 個人レースでも駅伝でもない。ライバル校と戦うのだが、実際に戦うのは目に見えない自分のタイムと合計タイム。駅伝のようにタスキをかけているわけではない。ちょっとした気の緩み、たった1秒のロスが命取りになりかねない。個人レースなら、やめようと思えば途中で棄権できる。駅伝のように、現在の総合順位が分かって走っているわけでもない。「箱根だ、1秒でも…、箱根だ、1秒でも…」。そう自分に言い聞かせてゴールにたどり着いた。
 15人が、正に死闘を終えると、マネジャーが上位10人の合計タイムを計算する。「まず大丈夫だ」とうれしいひと言。だが、ボーダーライン上の数校は心臓が止まる思いで結果の発表を待たなければならない。時には数秒差で「天国」と「地獄」に分かれる。仮に10秒差なら、一人1秒の差で明暗が分かれることになる。
 この予選会に4度挑戦しながら箱根路を走ることなく卒業していった大学生ランナーは、箱根を走った選手よりもはるかに多い。彼らはどんな想いで、箱根駅伝を見ているのだろうか。
早大は瀬古利彦の貯金が利いて、専修大に次いで2位となった。それでも「2度と予選会を走りたくない」としみじみ思ったものだ。

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