会員限定記事会員限定記事

箱根駅伝 「W」のアンカー 瀬古とつないだタスキ

名伯楽・中村清 その1

早大の中村清監督。指導は厳しかった【時事通信社】

 元憲兵隊長だった中村清は、陸上界では怖い存在として知られていた。早稲田大学競走部の監督に就任が決まり、長髪が多かった競走部員は戦々恐々としていた。練習前のミーティングは長く、1時間を超えることもざらだった。ましてや「頭をまるめろ」と言われ、反発する部員がかなりいた。

 自尊心が強く、時には思い込みが激しい中村監督。マスコミや周囲からは「奇行」と見られていたかもしれない。ミーティングでは自分の言葉に感極まり、「草を食えと言われたら、おれは本当に食うぞ」と言って、足元の草を抜き取って実際に食べてしまった。こんなことはざら。「君たちが弱いのは全て自分のせいだ」と言いながら、自分の顔を自分で何回も殴り血を流すこともあった。長距離以外のある有力選手が長いミーティングに業を煮やし「お話を聞く時間を練習に割かせてほしい」と頼んだところ、中村監督は「中村が監督を辞めるか、君に(部を)辞めてもらうか、どちらかだ」と、にらみつけた。
 ところが、「中村教」ともいえる訓話の数々は、選手たちの意識を徐々に変えていった。嫌々ながら中村監督についていくと、長距離だけでなく他のブロックの選手も結果がついてきた。結果が出ると「げんきん」なもので、反発していた選手も不思議なことに、「中村清を信じてやってみるか」という気持ちに変わっていたのだった。

|| 名伯楽・中村清 その2

 瀬古利彦も例外ではなかった。中村清監督と出会った当初、「変人だと思った」そうだ。1500メートルで高校チャンピオンとなった瀬古の走りを見るなり、瀬古に「お前は中距離では世界で通用しません。マラソンをやりなさい」と指示した。中距離選手にマラソン転向を勧める指導者は、当時は中村だけだった。それだけに瀬古も「このおっさん、いったい何を考えてるんだ」と心の中で反発したそうだ。

 瀬古が「中村教」に染められ、中村を師と仰ぐようになるのに、そう時間はかからなかった。中村の指導、練習方法に首を横に振ることなく、ひたすら過酷な練習をこなし続けた。
 瀬古が2年生の12月、福岡国際マラソンで日本人最高の5位入賞を果たしたときのことだった。ゴール後、瀬古は監督にあいさつにいかなかった。中村清はかんかんに怒り、瀬古の父親に電話し「お宅の息子は礼儀がなってない。そんな無礼な人間の面倒は見れない」と語気を荒げた。瀬古に放たれた最初の大目玉だった。翌日のミーティングで中村が部員に「お前ら、誰に陸上を教わっているのだ。このおれ中村だ。師に礼を尽くせない奴に陸上をやる資格なんかない」とすごんだことを、今でも鮮明に覚えている。

新着

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ