30万人近くが死亡したとされるカリブ海ハイチの大地震から1月12日で2年がたった。激しい空爆を受けたかのような発生直後の混沌は既に過去のものだが、もともと中南米の最貧国と言われるハイチの足取りは重い。復興と合わせて、どう国造りを進めるかという課題を前に、もだえ続けているように見えた。(文と写真 ニューヨーク総局・堀川諭)
首都ポルトープランスの空港に降り立ち、市街地へと向かう。車窓の風景には、震災の影はほとんどうかがえないが、市内の公園には今も大規模な被災者キャンプが残る。キャンプ生活者の数は今年1月段階でも50万人を超えているという。
大統領宮殿前のキャンプには、約2800人がとどまる。女性が食材をコンロで手際よく煮炊きしたり、テントの間に渡したロープに洗濯物を整然と並べて干したりする日常の風景は、避難生活が彼らにとって、実質的に定住状態になっていることを物語っている。
子どもたちは迷路のようなテントの間を笑い声を上げながら駆け回り、近くの広場では大縄跳びに興じる。
がれきの姿は病院や教会などからは消えたが、民家には山積みの状態だ。土地の登記がはっきりしないケースが多く、役所側が手を出せないとの話もある。がれきの除去率は全体で50%程度だという。
崩れたままの建物やがれきの間に、食料品などの市が立つ。ハイチは今なお、地震の残響の中にある。(2012/02/22)
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