各国歴代最強イレブン

北アイルランド

 英国4協会の中で最も登録選手数が少ないにもかかわらず、古くからのサッカーファンにとって、北アイルランドは何となく心をくすぐられるチームだ。ワールドカップ(W杯)出場は1958年、82年、86年の3度。しかし、このうち58、82年は1次リーグを突破し、その健闘を大いにたたえられた。その点では、英4協会の中で格上のスコットランドを上回る成功を収めているとも言える。

 オールドファンが心をくすぐられるのは、1人のスーパースターがこの国(協会)から誕生しているからである。ジョージ・ベスト。英4協会をすべて合わせ、史上最高の選手だったとする意見もある名手だ。ただ、少なくとももう1人、自らのポジションで世界屈指の選手という評価を得た選手がいる。ベストとほぼ同世代のGKパット・ジェニングスは、間違いなくゴードン・バンクス(イングランド)らに迫る存在だった。45年生まれのジェニングスと、46年生まれのベスト。2人が描いた対照には、なかなか興味深いものがある。

 ベストはマンチェスター・ユナイテッドのスカウトの目にとまり、15歳で契約した。意外にも、数学が得意な少年だったらしい。当初ホームシックにかかりながら、17歳でリーグデビューを果たす。レギュラーとなってからのマンU時代の背番号は7番か11番か8番。優れたボール扱いと、瞬間的なスピードを生かし、相手を1人、2人とかわすドリブルで相手守備陣をほんろうした。

 68年、ベンフィカ(ポルトガル)との欧州チャンピオンズ・カップ(現リーグ)決勝の延長戦。縦パスで一気に抜け出し、相手GKをかわして決勝点を奪ったシーンは、英サッカー界の名場面の一つだ。この年、欧州最優秀選手に選ばれた。

 屈指のドリブラーとして両ウイングで本領を発揮しただけでなく、パスやシュートもうまかった。相手の動きをよく見た上で、瞬間的に空いたスペース、空いたコースにシュートやパスを送る。ボビー・チャールトン、デニス・ローという大スターが同僚にいたこともあってか、自分勝手な感じのプレーは少なく、周囲を生かすのもうまかったと思う。

 173センチと一般人並みの体つきで、細身。甘いマスクに流行の長髪で抜群の人気を集めた。ビートルズの絶頂期に「5人目のビートルズ」と呼ばれたほど。他チームのファンでも、「ジョージ・ベストだけは好き」という人が当時の英国には圧倒的に多かった。

 しかし、この人気がその後のベストの人生に微妙な影響を及ぼしていく。酒と女におぼれ、トラブルが増えた。ピッチ上では天才的なセンスを見せても、コンディションは徐々に崩れていく。30歳を前にマンUを離れることになり、トップレベルの戦いから次第に遠ざかっていった。2005年に肝臓がんのため59歳で死去。これも長年の深酒がたたった結果だった。

 ジェニングスは林業に携わった後、17歳でワトフォードと契約。86年に41歳で現役を退くまで、主にトットナムとアーセナルのゴールを守り続け、多くのタイトル獲得に貢献した。反射神経が抜群な上に、林業で鍛えたがっしりした体と並外れて大きな手。ハイボールに強かっただけでなく、至近距離からのシュートなどへの反応も鋭く、ビッグセーブを連発した。

 バンクスを筆頭にシルトン、クレメンスら世界屈指のGKが何人もいた同時期のイングランドにおいて、その安定した力はバンクスに次ぐものだったのではなかろうか。ベストに負けず劣らず、こちらもハンサムな選手だった。

 ベスト、ジェニングスと世界的なプレーヤーを擁しながら、北アイルランドのW杯への道は険しかった。そこが小協会の悲哀である。W杯の出場チームがまだ16という厳しい条件だったこともあり、ベストが世界最高峰の舞台に立つことは、ついになかった。

 しかし、堅実にプレーを続けていたことと、選手生命が長いGKというポジションだったことが幸いし、ジェニングスには晩年、ご褒美がもたらされる。82年と86年のW杯に出場。しかも、82年は1次リーグで開催国スペインから白星をつかみ、2次リーグに進出した。86年大会のブラジル戦が現役の締めくくり。これが何と、41歳の誕生日に行われた。ベストが酒におぼれず節制して現役を続けていたなら、彼にも同じようなご褒美があったのであろうか。

 2人以外の名選手たちにも少し触れておきたい。58年W杯で1次リーグを突破した際の主将がブランチフラワー。トットナムの名MFとして活躍し、優れた戦術眼を生かしたゲームメークに定評があった。マクパーランドは50年代の名FW。58年W杯で5得点を挙げた。58年の代表ではGKグレグ、FWジミー・マッキルロイも好選手だった。

 ベストらとともにプレーしたのが、FWドゥーガン、右サイドバックのパット・ライス、DFのテリー・ニール、アラン・ハンター、MFマーティン・オニールら。ドゥーガンは渋いひげ面のストライカーで、弁の立つ選手だった。

 82年W杯では、マンUで長く活躍することになるMFホワイトサイドがペレの記録を更新する17歳42日でデビュー。スペイン戦の決勝ゴールを含む3ゴールを挙げたアームストロングと、2得点を奪ったハミルトンのFWコンビ、中盤の要だったサミー・マッキルロイ、守備力のあったMFマクルランド、DFのクリス・ニコル、マル・ドナヒーらも印象に残る。マッキルロイ、ホワイトサイド、ニコル、ドナヒーは86年大会もレギュラーだった。

 16年欧州選手権では1次リーグを突破し、18年W杯予選でもプレーオフまで食い下がり、8大会ぶりの出場へあと一歩と迫った。再び浮上してきたのは間違いない。

 【北アイルランドの最強イレブン】
 ▽GK ジェニングス
 ▽DF P・ライス、T・二ール、C・ニコル、M・ドナヒー
 ▽MF ブランチフラワー、S・マッキルロイ、ホワイトサイド、ベスト
 ▽FW マクパーランド、ドゥーガン
 〔控え〕▽GK グレグ▽DF A・ハンター▽MF M・オニール、マクルランド▽FW アームストロング、ハミルトン、J・マッキルロイ

【時事通信社 橋本誠】

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