各国歴代最強イレブン

ポルトガル

 ポルトガルは1934年ワールドカップ(W杯)に初めてエントリーし、62年大会まで6大会連続で予選敗退を繰り返した。それなりの伝統国として、これはやや意外な戦績と言えよう。それでも、この国は世界サッカー界に結構強いイメージを残している。それは主要大会で何度か上位進出を果たして好勝負を演じているからだろう。

 初めて出場した66年W杯で3位。2006年大会も4位に入った。欧州選手権でも84年大会で4強に残り、96年大会で8強。2000年大会の4強を経て、自国開催の04年大会では準優勝。16年大会では苦戦の連続を何とか切り抜け、決勝でフランスを破ってシニアの主要大会初制覇を果たした。W杯や欧州選手権で4強に残るには、スター選手がその時期に3、4人は育ち、それなりの爆発力がないと無理。ポルトガルはそんな土壌と底力を備えた国だと言っていい。

 クラブではベンフィカが61、62年、ポルトが87年と2004年に欧州王者となっている。W杯の実績でポルトガルを大きく上回るフランスなどより優れた戦績だ。ナショナルチームの強化も、クラブの実力アップと連動している。ベンフィカは60年代、欧州チャンピオンズ・カップ(現リーグ)で5度の決勝進出を果たした。このベンフィカ勢を軸に編成された代表チームが、66年W杯で世界を驚かせた。

 このベンフィカに躍進をもたらした原動力が、「黒ヒョウ」と呼ばれたストライカー、エウゼビオである。アフリカのモザンビーク出身で、60年にベンフィカ入り。61年の欧州チャンピオンズ杯で、ベンフィカはレアル・マドリード(スペイン)の6連覇を阻む。60年代のポルトガルはこれで上昇気流に乗った。

 引退後のエウゼビオに何度か遭遇したことがある。上背は印象ほどではない。しかし、体の厚みには圧倒される思いだった。このあたりは、縦も横も決して大きくないペレあたりとはまた違う。しなやかで柔軟な筋肉を持ちながら、ボリューム感、威圧感のあるがっしりとした肉体。前線でも当たり負けしなかったのが当然と言える印象を受けた。

 エウゼビオと言えば、やはり66年W杯での活躍が最も鮮烈だ。9ゴールを挙げて得点王。強烈なシュートでブラジルを消沈させたゴール、北朝鮮との準々決勝で挙げた4得点などが語り草だ。強豪ポルトガル相手に3点を先取した北朝鮮も世界を驚かせたが、これでエウゼビオらを本気にさせてしまった。準決勝のイングランド戦も1-2の惜敗。後半37分のエウゼビオの反撃ゴール(PK)がもう少し早ければ、勝負はどうなっていたか。

 この時代、アフリカから加わったエウゼビオが躍進への重要なピースだったことは疑いようがないとはいえ、他にも実力者が少なくなかった。MFコルナもエウゼビオと同じモザンビーク出身で、左サイドからのゲームメークや強シュートで知られた。ベンフィカにはエウゼビオより前から在籍し、66年W杯では主将を務めた。コルナと中盤を組んだアウグストやグラッサ、長身のFWトーレス、小柄なウイングのシモンエスもベンフィカ勢。コンビネーションの良さは当然だった。

 66年の守備陣では激しい守りで知られたイラーリオやビセンテが中心だった。このW杯と全盛期がずれてしまった2人の名DFがいる。61、62年のベンフィカの欧州連覇を支えたジェルマノは世界屈指のセンターバックという評価を得た。動きが速い上に競り合いに強く、守備の要に必要な冷静さに定評があった。ウンベルト・コエリョは68年に代表デビュー。ハードなマークで知られ、「皇帝」と呼ばれた。80年代初めまで64試合に出場してポルトガルの守備ラインを支えた。

 その後大舞台から遠ざかっていたポルトガルが次に脚光を浴びるのが、84年の欧州選手権だ。優勝したフランスと準決勝でぶつかり、延長戦で一時リードを奪って崖っぷちまで追い詰めた。しぶとい守りからの速攻がさえ、カルロス・マヌエルやアントニオ・ソウザが中盤を組み立て、ドリブルが得意なシャラーナらが切れ込んだ。フランス戦で2ゴールを挙げたジョルダンも印象に残る。

 GKのベントは何度も好守を見せ、右サイドバックのジョアン・ピントも光る存在だった。この後の時期のスター選手はドリブルの名手だったMFフットレらの名前が挙がる。

 90年代後半から、ポルトガルは国際舞台でコンスタントに力を発揮し、強豪の一角と認知されるようになった。若手世代に好素材が相次いで台頭したことが、そのきっかけとなった。89年と91年の世界ユース選手権を連覇。この時のメンバーに、MFのフィーゴやルイ・コスタ、FWのジョアン・ピントらがいた。この年代の多くの主力選手は、02年W杯や04年の地元での欧州選手権あたりまで踏ん張り、フィーゴは06年W杯まで頑張った。

 フィーゴは主に右サイドからの仕掛けを得意とするドリブルの名手で、代表127試合はポルトガル最多だ。2001年の国際サッカー連盟最優秀選手。パスやシュートの能力も高く、ウイングだけでなく多彩な役目を果たして32ゴールを挙げた。ルイ・コスタも中盤で攻撃センスを発揮し、通算26得点と得点能力も高かった。パウロ・ソウザは巧みなパスや視野の広さで支えた。

 守備陣で存在感を見せたのがフェルナンド・コウト。ヘディングや競り合いに強く、重量感のある守備で君臨し、欧州選手権などで活躍した。コウトが110試合に出場すれば、GKバイーアも80試合でゴールを守り、長くポルトガルの守備を支えた。90年代後半から活躍したFWパウレタは空中戦に強く、一時はポルトガル最多となる通算47ゴールを重ねた。ヌノ・ゴメスも得点力のあるFWだった。

 21世紀に入り、ポルトガルからは安定的に力のある選手が生まれている。ブラジル出身のMFデコは持ち前のパスセンスを生かして04年欧州選手権、06年W杯の好成績に大きく貢献。MFマニシェも下がり目の位置で豊富な運動量を生かし、チームにアクセントを加えた。守備陣ではセンターバックのリカルド・カルバーリョが断然光る。読みとポジショニングが抜群で、何気なくピンチを切り抜ける。空中戦や競り合いにも強い。GKリカルド、DFジョルジ・アンドラーデらとともに守りを固めた。

 04年欧州選手権以降、スーパースターとなったのはクリスティアーノ・ロナウドだ。フェイントを得意とする高速ドリブラーで、右でも左でもウイングをこなすばかりか、攻撃の中心的な位置やトップでもOK。無回転のキックなど、シュートやセットプレーも得意で、何度も信じられないようなゴールを生み出している。

 クラブではマンチェスターU、レアル・マドリードで大活躍。代表では歴代最多得点、最多出場を誇る。巨星エウゼビオとともにポルトガル・サッカー界が生んだレジェンドとなった。16年欧州選手権で念願の初戴冠。ただ、4ゴールを奪った18年W杯は16強で敗退。スーパースターは世界の頂点に届かなかった。

 【ポルトガルの最強イレブン】
 ▽GK バイーア
 ▽DF J・ピント、ジェルマノ、R・カルバーリョ、ディマス
 ▽MF R・コスタ、コルナ、フィーゴ
 ▽FW エウゼビオ、トーレス、C・ロナウド
 〔控え〕▽GK ベント▽DF H・コエリョ、F・コウト▽MF P・ソウザ、フットレ、デコ▽FW パウレタ

特集

コラム・連載

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ