各国歴代最強イレブン

ポーランド

 ポーランド代表チームが、1970年代から80年代にかけて世界サッカー界に与えた衝撃は大きかった。72年ミュンヘン五輪ではハンガリーの3連覇を阻んで金メダル。74年W杯には、サッカーの母国イングランドに予選で2-0、1-1と勝ち越して出場し、3位に食い込んだ。76年モントリオール五輪でも銀メダルを獲得し、2次リーグに進んだ78年W杯を挟み、82年W杯でも再び3位に入った。この間の10数年は、ポーランドが世界のトップクラスの一員として君臨した黄金時代だった。

 当然のことながら、最強イレブンに入るような名手もこの時期に集中している。74年W杯では、快足を生かして相手の背後に一瞬早く入り込むプレーを得意としたラトが7点を挙げて得点王に輝く。ラトが右サイドから再三相手守備ラインの裏を狙えば、左サイドからは技巧派のウイング、ガドハが独特のリズムからパスやクロスを供給した。ヘディングの強かったセンターフォワードのシャルマッハが5得点。このFW陣が軸となった速攻は、相手チームにとって脅威となった。

 前線の選手たちを中盤で操ったのが、屈指のMFディナだった。広い視野からオープンスペースにパスを送って味方を走らせ、イタリア戦では強烈な右足シュートで自ら貴重な得点も奪った。ボールの獲得役としてパートナーとなったカスペルチャクらとともに、組み立てを担った。決勝進出を懸けた2次リーグの西ドイツ戦は、試合前の激しい雨でピッチが水浸し。速攻を得意とするポーランドにはあまりに不運なコンディションだった。それでも押し気味に進めただけに、好条件下の試合なら、ポーランドが勝って決勝に進んでいたかもしれない。

 この時期のポーランドは守備陣にも人材がそろっていた。リベロのズムダは86年までW杯に4大会連続で出場し、通算21試合でW杯のピッチを踏んだ。金髪のセンターバック、ゴルゴンはパワフルなストッパー。同じころ、古河電工と日本代表の大型DFとしてプレーした金子久が「ゴルゴン」と呼ばれたことからも、本家ゴルゴンの存在感が分かろうというものだ。右サイドバックのシマノフスキも光る存在だった。GKはトマシェフスキ。予選最終のイングランド戦では雨あられと見舞われたシュートを相次ぐ好守ではじき出し、PKの1点のみに封じて大番狂わせの原動力となった。本大会でも長身や長い手を生かしてビッグセーブを続け、スウェーデン戦、西ドイツ戦ではPKを止めた。トマシェフスキの守りがなければ、予選突破も、本大会での躍進もなかったに違いない。

 こうして世界のサッカーファンを驚かせた74年W杯。実は、この時期のポーランド最高の選手と言われた名手が負傷で不在だった。FWのルバンスキである。代表通算48ゴール。16歳で代表入りし、10代で代表歴は20試合に達した。テクニック、スピード、周囲を生かす能力を兼ね備え、72年五輪では金メダルチームの中心に。74年W杯予選では、格上のイングランドを退ける原動力となった。本大会にルバンスキがいたらと思うと、残念でならない。

 78年W杯も74年のメンバーがほぼそのまま残った。ただ、速攻の切れ味が4年前ほどではなかった。2次リーグでアルゼンチン、ブラジルに敗れて4強ならず。ただ、その4年後にエースとなる選手がチームに加わった。攻撃的MFのボニエクだ。ディナらが抜けた82年のW杯はボニエクが中心のチームになった。その力を見せつけたのが、2次リーグのベルギー戦。強烈なシュート、連係パスからの突破、ヘッドと違うパターンでハットトリックを達成した。とりわけ、右足で鮮やかに突き刺した強烈な先制ゴールはベルギーを一気に消沈させた。

 自ら得点も狙い、味方へラストパスも供給する。しかも思い切りがいい。大会後はユベントスに移籍し、プラティニ、ロッシらとともに大活躍。イタリアでも大きな成功を収めた。2次リーグ最後のソ連戦で警告を受け、準決勝のイタリア戦は出場停止に。ボニエクが出ていたら、勝負の行方は分からなかったのではないか。この大会、かつて前線のスピードスターだったラトは少し下がってボニエクらとの連係でゴールを狙った。肩をいからせて左サイドを突破したウイング、スモラレクは、後に息子もプロ選手として活躍。中盤のマティシク、ブンツォルらも印象に残る選手だった。守備ラインには、相変わらずズムダが君臨していた。

 この後、ポーランドのサッカーは下降線をたどることになった。ボニエクとスモラレクが健在だった86年W杯では1次リーグを突破したが、この後は本大会に出ても1次敗退。強い印象を残す選手もめっきり少なくなっていた。

 ただ、欧州選手権には08年から3大会連続で出場。18年W杯は3大会ぶりで出場権をつかんだ。その大きな原動力となったのがバイエルン・ミュンヘンなどでもエースストライカーとして活躍するレバンドフスキ。長身でヘッドが強いことに加え、両足からのシュートに加えてテクニックもある万能型。長身CFには珍しくFKでもゴールを重ねる。もはや同国史上最高のストライカーと言っても差し支えないだろう。ただ、18年W杯では不発。味方からチャンスボールが回らず、本領を発揮する場面がほとんどなかった。

 戦中戦後の選手ではFWビリモフスキが38年W杯のブラジル戦(5-6で敗戦)で4ゴールを挙げて歴史に名を刻んでいる。

 【ポーランドの歴代最強イレブン】
 ▽GK トマシェフスキ
 ▽DF シマノフスキ、ゴルゴン、ズムダ、ヤナス
 ▽MF マティシク、ディナ、ボニエク、ガドハ
 ▽FW ラト、レバンドフスキ
 〔控え〕▽GK デュデク▽DF ボンク▽MF カスペルチャク、ジェカノフスキ▽FW ルバンスキ、スモラレク父、ポル

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