各国歴代最強イレブン

ハンガリー

 日本ではよく「古豪」という表現が使われる。この言葉、非常に微妙な響きを持つ。昔から強くて、ずっとトップ級の力を持つチームや組織には、ストレートに「強豪」とか「名門」とか「王者」といった言葉が使われる。これに対し、「古豪」には、「かつては強かったが…」というややネガティブなニュアンスが含まれる。

 世界サッカー界において、古豪の典型的な例がワールドカップ(W杯)で1930年、50年大会に優勝したウルグアイや、38年、54年大会で準優勝したハンガリーだろう。ただ、ウルグアイは2010年大会で4位に入り、一応の復活を果たした。「古豪」という呼び方が最もふさわしい国は、今やハンガリーということになるのではなかろうか。

 とはいえ、W杯で上位に進出できるような国がかなり限定される中で、かつて輝かしいチームを送りだした歴史を持つだけでも、十分に誇れることだろう。とりわけ、54年の代表チームは、長いサッカーの歴史の中でも屈指の好チームとして記憶されている。W杯で優勝を逃した中で、優勝チーム以上に勝利にふさわしかったチームとしては、54年のハンガリーと74年のオランダが双璧をなす。

 W杯では、旧東側の国が優勝した例はない。国威発揚のため国家丸抱えでスポーツ選手の強化を図り、面白いように金メダルを量産した頃の旧ソ連や東ドイツも、サッカーだけはままならなかった。そこには、瞬間的な判断が各選手に委ねられるサッカーという競技には自由な発想や独創性が不可欠で、東側のトップダウン的な指導ではそうした要素を十分に膨らますことができないから、といった分析もなされてきた。

 ただ、54年のハンガリーが順当に王者となっていれば、そんな解説も説得力を失っていたはずだ。このチームには力量のある選手がそろっていただけでなく、ユニークな発想、独創的な戦術も備わっていた。1952年ヘルシンキ五輪で優勝。この金メダルを挟み、54年W杯の決勝で敗れるまで、50年から31試合連続無敗という驚異的な記録を打ち立てた。53年には、それまで地元の国際試合で負けたことがなかったイングランドを敵地ウェンブリーで6-3と撃破し、世界サッカー界をあっといわせた。

 FWにプスカシュとコチシュ、下がった位置にヒデクチ、ウイングにチボールとM・トート。中盤の深い位置にはボジクがいて、GKはグロシチ。各ポジションで、今も名手に数えられる選手たちがそろっていた。

 戦術もユニークだった。53年のイングランド戦では、センターフォワードと思われたヒデクチが実はトップより下がった位置でプレー。このため、イングランドの守備陣は誰が誰をマークするか混乱し、いいようにやられてしまった。1年後の再戦でも、7-1で一蹴(しゅう)。サッカーの母国は顔色を失った。

 54年W杯は、「マジック・マジャール」と呼ばれたこのチームが、自他ともに東の横綱と認めて迎えた大会だった。大横綱は小細工をしない。1次リーグでは韓国を9-0、西ドイツを8-3で破る。しかし、この西ドイツ戦が思わぬ落とし穴となった。エースのプスカシュが足首を痛め、準々決勝、準決勝の欠場を余儀なくされてしまった。

 この2試合はW杯史上に残る激戦となった。まず準々決勝のブラジル戦はラフプレーが目立ち、「ベルンの戦闘」と呼ばれた大荒れの試合。前回の準優勝チームを何とか4-2で退けると、準決勝は前回優勝のウルグアイと、W杯史に残る名勝負を繰り広げ、延長でコチシュが2点を奪って4-2で勝ち抜いた。

 南米の強豪と激しい消耗戦を演じたハンガリーが、決勝の相手に迎えたのは、1次リーグで大勝していた西ドイツだった。実は、こちらはハンガリーに負けたことで楽な組み合わせの方に回り、さほど苦労せずに勝ち上がってきた。西ドイツは、当初からハンガリーやウルグアイ相手の正面突破は無理と見て、この「裏ルート」を思い描いていたとされる。

 横綱相撲で強敵に正攻法で立ち向かい、その疲れを残していたハンガリーと、難敵を避けてうまくすり抜けてきた西ドイツ。ハンガリーのエース、プスカシュが負傷を抱えていたのに対し、ドイツの方は隣国の「ホーム」で戦える有利さもあった。

 結果は3-2で西ドイツが勝ち、番狂わせの優勝を成し遂げた。ハンガリーは復帰したプスカシュが6分に先制ゴールを挙げ、前半9分までに2点を先行したにもかかわらず、次第に相手のペースにはまり、無念の逆転負け。決まったかに見えた同点ゴールが取り消される不可解な判定もあった。3年半負けを知らなかった東の横綱が妙な計算抜きに真正面から立ち向かった頂点への道は、最後の最後で閉ざされた。

 当時の図抜けた戦績を考えれば、世界制覇失敗は、不運だったとしか言いようがない。その後は56年に起きたハンガリー動乱など複雑な国内事情もあり、有力選手が次々に流出する。エースのプスカシュは58年からレアル・マドリードに移籍し、ディステファノらと3度の欧州制覇を果たす。62年W杯の舞台はスペイン代表として踏んだ。

 FWのコチシュは空中戦に強く、54年W杯の11得点を含めて代表戦で75ゴール。ヒデクチは得点につながる好パスを連発し、左ウイングのチボールは得点能力も高かった。右サイドのMFボジクは、攻めにつなげる展開力に加え、守備的な能力も高かった。今の守備的MFに分類し、歴代トップ級の評価を与える声も根強い。GKグロシチも同時代屈指のキーパーに数えられ、右サイドのDFブザンツキーも好評価を得た。

 同じ年代で異色の選手はMFのクバラ。こちらはハンガリーで生まれた後、チェコスロバキア、スペインと渡り、最も代表で出場試合が多いのはスペイン。プスカシュらの「マジック・マジャール」の一員とはならなかった。代わりに50-61年に所属したバルセロナの中心選手としてそのパスセンスとシュート力を発揮し、名声を獲得。バルセロナのクラブ史で最高レベルの選手という声も強い。

 プスカシュらが抜けた代表チームは、58年、62年、66年のW杯にも出場。62、66年は8強まで残った。66年大会でブラジルを3-1で破った戦いは、かつての強さを思い起こさせる内容で、攻撃全般に高い能力を見せた67年欧州最優秀選手のアルベルト、右ウイングのベネ、ファルカシュらが魅力ある攻撃を繰り広げた。センターバックのマトライ、メソーイらも高い評価を得た選手たちだ。

 64年東京、68年メキシコの両五輪では金メダルを獲得。この時期までは東側の最強チームだった。しかし、その後は徐々に衰えていく。W杯出場は86年が最後。70-80年代に大舞台で活躍が期待された攻撃的MFのニラシやデーターリも、世界トップクラスの仲間入りは果たせなかった。久々に大きな大会への出場権をつかんだ16年欧州選手権で1次リーグは突破したものの、18年W杯は予選で敗退。古豪復活への道は、非常に険しい。

 38年のW杯準優勝チームにも触れておくべきだろう。エースFWはシャローシ。ツェンゲレルらとともに分厚い攻撃を繰り出した。コラニ、ビロの両フルバックも好選手だったようだ。

 【ハンガリーの最強イレブン】
 ▽GK グロシチ
 ▽DF ブザンツキー、マトライ、メソーイ、ビロ
 ▽MF ボジク、クバラ、ヒデクチ、チボール
 ▽FW コチシュ、プスカシュ
 〔控え〕▽GK サボー▽DF バリント、コラニ▽MF ベネ、アルベルト▽FW シャローシ、ツェンゲレル

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