1950年代前半を頂点として、ウルグアイのサッカーは下降線をたどっていく。テクニックのある選手が減り、相手を激しい守りで止める荒っぽいサッカーが目立つようになった。
86年W杯では2戦目のデンマーク戦で退場者を出すと、3戦目のスコットランド戦では開始1分にバティスタがレッドカードを食らい、早々に1人少なくなった。技術レベルが低下し、その差を無理に埋めようとしてラフプレーに走る古豪の苦闘ぶりを物語るようなシーンだった。かつての栄光の日々がある分、期待を背負って余計に苦しく感じる面はあるはずだ。
その厳しい時代に入って、輝きを見せたのが1970年のW杯だった。GKマズルケビッチ、DFアンチェタ、マトサス、FWクビジャらが活躍した。マズルケビッチは66年から74年まで3度のW杯でプレー。66、70年には当時世界最高の誉れ高かったバンクス(イングランド)に劣らない評価を受けた。178センチと体格に恵まれていなくても、動きの良さでカバー。ジャンプ力もあって好セーブを連発した。アンチェタも70年W杯を代表するDFの1人。右サイドから鋭い攻撃を仕掛けたクビジャはブラジル戦で先制ゴールを奪って相手を観衆を沸かせた。MFローチャも同年代の好選手で74年まで4度のW杯に出場した中心選手。19歳でW杯にデビューし、創造性とフィニッシュ力でウルグアイの攻撃を引っ張った。
もちろん、その後も好選手は出た。代表格が80年代に活躍した攻撃的MFフランチェスコリだ。個人技、戦術眼、ゴールを狙う感覚…。当時世界レベルの選手だったことは間違いない。代表でのコパ・アメリカ、所属クラブでの南米リベルタドーレス杯でも活躍した。ただ、同年代のマラドーナあたりと比較すると、印象は薄い。86、90年のW杯でチームを好成績に導くための決定的な仕事ができなかったからだ。
それは80-90年代のウルグアイの攻撃陣全般に共通していることだ。左利きのゲームメーカー、パス、点取り屋のソサ、90年W杯のエースFWだったフォンセカ、左足からの豪快なシュートが売り物だったレコバらの好選手も、世界の大舞台で残した印象は強くない。
むしろ、守備ラインの中心だったデレオンやグティエレス、守備的MFオストラサの厳しい守りの方がチームに貢献していたかもしれない。
そんなウルグアイが、2010年W杯で見事に復活し、4位に食い込んだ。チームの大黒柱はFWのフォルラン。幅広い動きでチャンスを創出し、両足からの好シュートで相手ゴールを脅かした。チーム最多の5ゴール。前線でコンビを組んだスアレスも動きの良さとシュート力を兼ね備え、3ゴールを奪った。攻撃陣がチームの主役となったウルグアイは、50年代以来だったろう。
2人は14年W杯でも活躍。フォルランは日本でもプレーし、スアレスはバルセロナでも大暴れしている。フォルランが外れると、スアレスとカバニの新たなコンビがチームの攻撃をけん引。18年W杯では2人の攻撃力と定評のある守備力がかみ合い、ベスト8に進出。スアレスとカバニのフィールド幅いっぱいに使ったワンツーによるポルトガル戦のゴールは圧巻の迫力だった。
10年W杯では豊富な運動量でボールを奪ったMFペレス、ベテランDFルガノ、GKムスレラらの活躍も光った。伝統の守備面ではDFゴディンが軸となり、18年W杯でもヒメネスとのセンターバックコンビで堅固な守備を誇った。
【ウルグアイの歴代最強イレブン】
▽GK マズルケビッチ
▽DF V・アンドラーデ、サンタマリア、バレラ、ナサシ
▽MF J・アンドラーデ、スカローネ、フランチェスコリ、スキアフィーノ
▽FW スアレス、フォルラン
▽控え R・ロドリゲス(GK)、アンチェタ、デレオン、ゴディン(DF)、ローチャ、パス(MF)、ギジャ(FW)
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