1930年の第1回ワールドカップを開催して初代王者となったのがウルグアイだ。その前の24、28年の五輪では金メダルを獲得。50年の第4回大会では、初優勝を狙った開催国ブラジルを破る波乱を演じ、2度目の頂点に立った伝統国である。
2010年W杯では久々の快進撃を演じて4位に入った。ただ、同じ南米の強豪であるブラジルとアルゼンチンには大きな差をつけられてしまった。近年は南米予選ですっきりW杯出場を決めることができず、アジアやオセアニアとのプレーオフに出場を懸けることも増えた。
しかし、戦前に比べて栄光から遠ざかってしまったのも、ある意味で当然なことと言える。ブラジルが1億9000万人、アルゼンチンが4000万人の人口を抱えるのに対し、ウルグアイは300万人余り。分母がこれだけ違うのだから、好選手が少なくなるのも無理からぬことである。世界の各国が選手強化に躍起になれば、退潮を強いられるのも仕方あるまい。古豪の意地だけでは、通用しなくなった。
ゆえに、名選手として名前が挙がる選手も、4位に入った70年W杯あたりまでの選手が多くなる。30年のW杯優勝チームでは、主将でもあったDFナサシが名手の誉れ高い。24、28年両五輪でも主将として連続優勝。やはり高い評価を受けていたホセ・アンドラーデらと「鉄のカーテン」と呼ばれる守りを支えた。競り合いにも空中戦にも強く、読みにも優れていた。右からの攻撃で貴重なゴールを重ねたスカローネも名高い選手だ。
50年のW杯に優勝、54年も4強に入ったころが、最も名選手を抱えた「黄金時代」だったろう。攻撃的なMFスキアフィーノはウルグアイが生んだ最高の選手と言われる。ボール扱いに優れ、狭い地域を巧みに抜けるドリブル、絶妙のスルーパスなどを駆使して相手守備陣を恐怖に陥れた。50年W杯決勝リーグのブラジル戦では、同点ゴールをマーク。波乱の勝利を呼び込んだ。
その試合で殊勲の決勝ゴールをたたき込んだのが、右FWのギジャ。スキアフィーノの同点ゴールもアシストした。右のウイングとして歴代の名手に数えられている。
50、54年のチームで欠かせない存在だったのが、バレラ主将だ。守備の中心でありながら、積極的に攻撃にも参加し、代表45試合の出場で9ゴールを奪った。強い体を生かして競り合いに強く、大試合でリーダーシップを発揮した。
ロドリゲス・アンドラーデも両W杯で活躍した。主に右サイドでプレー。スピードを生かして攻め上がり、好パスを送っただけでなく、守っては的確なタックルで相手を封じた。
54年W杯で4強入りに貢献したDFサンタマリアは、ディステファノ、プスカシュらとともにレアル・マドリード(スペイン)の黄金時代を担った主力の1人。強力な守備で相手の攻撃をつぶし、屈指のストッパーとして長く活躍した。
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