かつてのフランス同様、オランダも常に強豪であったわけではない。74、78年のW杯で連続準優勝を果たす前は4大会連続で予選落ち。82、86、2002、18年大会も本大会に進むことができなかった。しかし、世界にオランダサッカーのファンは多い。攻撃的な姿勢で戦うことを基本とし、世界的な名手も数多く輩出しているからだ。W杯準優勝は10年大会で3度目。実績の方も、上位強豪国に近づいてきた。
オランダサッカーと言えば、多くのファンが74年の代表チームを思い出すに違いない。ミケルス監督の下、全員攻撃全員守備の「トータルフットボール」を実践。相手ボールに集団でプレッシャーをかけて奪い、そこから素早い攻めを繰り出すという、当時としては革新的なプレースタイルで世界中を驚かせた。
戦法が斬新だっただけでなく、選手たちのレベルも高かったから、展開されたプレーは一層効果的だった。W杯で優勝を逃したチームとしては、54年大会のハンガリーと並んで勝者以上に評価された集団だろう。
その中心にはクライフがいた。センターフォワードの位置にいたかと思うと、最後尾からドリブルを仕掛けて一気に加速する。攻守に激しく動き、視野の広さを生かして効果的な位置にパスを送った。「クライフ・ターン」と呼ばれた独特のフェイントも交えたドリブル、チャンスと見るや一気に前線に飛び出す得点感覚、味方を自在に操るようなパス…。近代サッカー選手が必要なほとんどの資質を有していたと言っても過言ではない。
所属するアヤックスで3度の欧州制覇を果たし、移籍したバルセロナでも活躍。欧州最優秀選手に3度輝いた。W杯制覇を果たせなかったとはいえ、ペレやマラドーナと並び称される存在であることに疑問の余地はない。
ただ、チームメートたちも優秀であったことは、クライフが出場を拒否した78年大会でも、チームが準優勝を果たしたことが物語っている。MFのニースケンス、守備的MF兼DFのハーンとヤンセン、FWのレップとレンセンブリンク、DFのクロル、GKのヨングブルートは両大会に共通するレギュラー選手だ。ニースケンス、クロル、74年大会のMFファンハネヘムは世界に誇る名手だった。
クライフと同じファーストネームを持ち、「もう1人のヨハン」と呼ばれたニースケンスは攻守に思い切りがよく、シュートも強烈。激しい守備で相手ボールを奪ったかと思えば、クライフらとのパス交換から貴重な得点によく絡んだ。ダイナミックでパワフルなプレーを生かし、78年には中盤の中心となった。左利きのファンハネヘムは激しく動くというより、パスを操って味方を動かすタイプ。74年のチームでは、それがリズムを変える効果をもたらした。
クロルは74年に左サイドバックでプレーし、78年は中央に回ってリベロとなった。的確な守りに加え、機を見ての攻撃参加が持ち味。ハーンはMFに上がった78年大会、スコットランド戦、西ドイツ戦、イタリア戦で強烈なシュートを決め、チームに貴重な得点をもたらした。特にイタリア戦の40メートル弾は語り草の一撃だ。右サイドバックのシュルビアも攻撃参加が目立った。
レップとレンセンブリンクは決定力のあるFWだった。レップは思い切りのいいシュートや右からの切れ込みが持ち味。左利きのレンセンブリンクはスピードと柔らかいボールタッチを併せ持っていた。78年大会では5得点。決勝の後半終了寸前、レンセンブリンクのシュートがもう数センチ内側にずれていたら、オランダはここで優勝を果たしていた。
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