各国歴代最強イレブン

フランス(2)

 80年代前後のフランスには、守備陣にもユニークな人材がそろっていた。78、82年W杯で守備ラインの中心だったトレゾールは身体能力の高い黒人選手。強さと柔らかさを併せ持ち、攻め上がる迫力もあった。82年の西ドイツとの準決勝で決めた豪快なボレーシュートは鮮烈な印象を残す。プラティニとともにW杯3大会を戦ったボッシやバチストンも技術レベルが高く、守備ラインの中央もサイドもこなす器用さを持っていた。サイドバックでは左右どちらでもOKのアモロがユニークな存在だった。大胆な攻め上がりを得意とし、積極的に敵陣を深くえぐってチャンスに絡んだ。

 中盤、守備陣に比べ、前線が少し弱かった。ストライカーらしいストライカーがいなかったのがこの時期。3度のW杯で活躍し、独特のリズムのドリブルで切れ込んだロシュトーも、右ウイングのタイプ。FW陣が勝負どころで決定力を欠いたため、MF陣の得点が目立つ結果になった。86年W杯の準決勝では、実力が下と思われた西ドイツにリードを許し、焦ったプラティニが自ら前に出てしまったことで本来の持ち味だった中盤の華麗なパス回しが見られなくなってしまった。前線にもう一歩力があれば、82、86年の両W杯は、少なくとも決勝に進むことはできたのではないだろうか。代表30得点のパパンも強豪相手に大きな仕事をしたとは言い難い。

 その点、3位に入った58年のW杯はFW陣に決定力があった。大会得点王に輝いたフォンテーヌが13ゴール。W杯1大会の最多記録として輝くこの数字が、今後更新されることはないだろう。当初レギュラーの予定でなかったにもかかわらず、チームメートの負傷で出番をつかむと、面白いようにゴールを量産した。瞬間的に相手守備ラインの裏側に飛び出す動きが鋭く、左右の足から強シュートを放った。相次ぐ骨折で30歳を前に引退。ピークが短かったとはいえ、ファンに強烈な印象を残す輝きを放った。

 ただ、フォンテーヌのその活躍は攻撃的MFコパの存在なくしては考えられなかった。フォンテーヌの58年W杯での得点の多くは、コパのパスから生まれた。ポーランド移民の子として生まれたコパは戦術眼に優れ、絶妙のタイミングでスルーパスを連発した。W杯出場は58年が2度目。当初の右ウイングからセンターフォワード、やや下がった司令塔役とポジションを変えながら、その本領を最大限発揮したのが58年だった。

 レアル・マドリードではディステファノ、プスカシュらとともに欧州カップを3度制覇。58年は欧州最優秀選手に輝いた。プラティニの前のフランスの「将軍」であった。

 58年のチームには、世界トップクラスの選手がもう1人いた。主将として守備ラインを統率したジョンケである。

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