各国歴代最強イレブン

フランス(1)

 今では常時上位候補国の一角を占めているフランスも、少し前までは決して「強豪」には数えられていなかった。70、74年、90、94年W杯などは予選敗退。コンスタントに力を発揮するようになったのは、アフリカなどからの移住者の子弟が積極的に起用され始めるとともに、若年選手の養成システムが確立されてから。今では好選手が安定供給される体制が整い、チームづくりがうまく運べば好成績が望める土壌が整った。

 地元開催でワールドカップを初制覇する1998年以前は、欧州でも第2グループの位置づけで、何人かの好選手が偶然集中すると、その時期だけパフォーマンスが上がるという国だった。この国のサッカーの歴史を考えると、W杯で3位に入った58年前後、84年の欧州選手権優勝をピークとした70年代終盤-80年代半ば、98年-06年、欧州準V~2度目のW杯制覇を果たした16-18年の四つのヤマがある。歴代の好選手たちも、この時期に集中している。

 この四つヤマの中で、フランスサッカーのイメージを世界に最も高めたのが、2番目の時期だろう。華麗なパスを武器に攻める美しいサッカーはエンターテインメント性に満ちていた。攻撃志向ゆえにもろさが同居していたとはいえ、フランスと言えば多くのファンがこの時代のサッカーを懐かしがるに違いない。

 その中心にいたのが、フランスが生んだ最高の選手と言える攻撃的MFプラティニだ。華麗なパスで中盤を組み立てたかと思うと、自らゴールに迫って得点を挙げる。変化球で狙うFKは、相手GKにとって常に脅威だった。78年にW杯にデビューしてその非凡さを世界の舞台で証明すると、82年は中盤の将軍としてチームの4強入りの原動力となった。86年のW杯も準々決勝でブラジルと美しい攻撃合戦を展開した末3位に。チームにもう少し運としたたかさがあったなら、フランスのW杯初優勝は98年まで待つ必要がなかったかもしれない。

 プラティニを軸としたチームが最高の結果を得たのが84年の欧州選手権だった。チームは全勝で優勝を果たし、地元のファンを喜ばせた。主役はプラティニ。MFでありながら9得点をマークし、選手としてのピークを迎えた。5試合で9ゴール。特定の選手が主要大会でこれほど圧倒的な活躍を演じてチームを優勝に導いた例としては、86年W杯のマラドーナ(アルゼンチン)とこの時のプラティニが双璧をなすのではあるまいか。

 もっとも、この時期のフランスは、センスにあふれた選手の宝庫だった。82年W杯、84年ユーロ、86年W杯ではジレスとティガナがプラティニと中盤を組み、82年はジェンジニ、86年はフェルナンデスがこの3人に加わった。ジレスとティガナは160センチ台の小柄。ジレスは柔らかいパスを縦横に配して攻めを展開、ティガナは精力的に動いてボールを拾い、プラティニ、ジレスにつなぐとともに、自らドリブルを仕掛けて前進を試みた。ボールがよく動く華麗な展開の連続は、「シャンパンサッカー」と呼ばれ、82年W杯ではブラジルの「黄金の中盤」と並んで注目を集めた。

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