伝統国だけに、3人以外にも名選手、人気選手は数多い。66年W杯以前では、右ウイングのマシューズ、左ウイングのフィニー、守備的MF兼DFのライト、FWのディーン、ロフトハウスらが歴史的な選手として語り継がれている。
50歳を過ぎてまで現役を続けたマシューズはイングランドサッカー界の象徴的な存在だった。優れたボールテクニックとスピードを併せ持ち、相手のサイドを再三切り崩した。フィニーは左利きながら、右足の技術も磨いて右サイドもこなした。得点力はフィニーが上。2人はそろって50年と54年のW杯に出場。フィニーは58年大会でも代表となった。
ライトは代表で105試合に出場。守備陣を統率し、170センチ強の小柄な割に空中戦にも強く、50、54、58年のW杯で活躍した。現在でも世界屈指の守備的MFという評価がある。ディーンは20-30年代に活躍し、ヘッドの強さを生かしてゴールを量産した。ロートンは30-40年代、ロフトハウスは40-50年代を代表するFWだった。
その後の攻撃選手では62、66年W杯代表のグリーブス、66、70年W杯で活躍したハースト、80年代のリネカー、90年代のシアラー、近年のオーウェン、ルーニーらがイングランドを代表する存在だ。
66年W杯の途中から出番を失ったとはいえ、代表44ゴールのグリーブスの総合的な攻撃能力への評価は今でも高い。ハーストはW杯決勝でハットトリックを達成した唯一の選手。ウェストハムの同僚だったMFピータース、DFムーアとのコンビネーションがよく、何度も重要なゴールを決めた。86年W杯で得点王に輝いたリネカーはボールへの反応が鋭く、相手の背後に走り込んでワンタッチゴールをよく決めた。代表48点。重要なPKを落ち着いて沈めるなど、イングランドのFW陣には珍しく勝負強さがあった。シアラーは96年欧州選手権などで決定力を発揮した。28年ぶりに4強に進んだ18年W杯ではケーンが6ゴールを奪って得点王に。PKやラッキーなゴールが多かったとはいえ、24歳と若いだけにさらに飛躍が望める。
オーウェンは18歳で出場した98年W杯で大活躍。ドリブル突破で決めたアルゼンチン戦のゴールは世界を驚かせた。動きに速さと切れがあり、代表40ゴール。けがに泣かされなければB・チャールトンの記録を抜いていた可能性は十分にあった。ルーニーは高いボールテクニックと速さを併せ持つ英国では珍しいタイプ。1列下がってラストパスを供給する役もこなすことができる。ただ、3度のW杯はけがもあって不本意な内容。代表通算53得点と母国の最多記録を更新したが、04年欧州選手権を除くと代表での主要国際大会では大きなインパクトを残せなかった。
攻撃的なMF陣を見てみよう。まず名前が挙がるのは、キーガン、ガスコイン、ベッカムか。キーガンは78、79年の欧州最優秀選手。右サイドで頭角を現すと、決定力とパスの能力を兼ね備えたアタッカーとしてリバプール、ハンブルクなどで大スターとなった。「マイティー・マウス(勇敢なネズミ)」と呼ばれたほど動き回り、小柄な部類なのにヘッドでも勝負できた。惜しむらくは故障もあってW杯で活躍できなかったことだ。
ガスコインは相手の急所をえぐるパスなど創造的なセンスが抜群。90年W杯のイングランドは、彼がチームになじむにしたがってチーム力が上向いた。ベッカムは正確なキックが最大の売り物。巧みなFKでゴールを量産したのは、イングランドでは珍しいタイプ。セットプレーはチームの大きな武器で、運動量も多かった。
このほか、右サイドをよく動いて66年のW杯制覇に貢献したボール、66、70年W杯で活躍したピータース、70年代のMF陣の要ベル、多彩なパスを操った80年代のホドル、独特の得点感覚を生かして27ゴールを奪った90年代のプラット、左ウイングのバーンズらが攻撃的なMF陣として記憶に残る。
最近ではシャドーストライカー的な持ち味があったスコールズ、ゴールに絡む決定的な仕事をするランパードらが代表史に残る存在だ。
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