各国歴代最強イレブン

イングランド(1)

 サッカーの母国でありながら、ワールドカップで4強に入ったのはわずか3度。1974、78、94年の各大会では予選落ちの屈辱も味わっている。大事な試合でしっかり勝ち切る勝負強さがなく、なぜか不運に見舞われることも多い。W杯制覇は地元開催だった66年の1度だけだ。だから、いつまでたっても66年の優勝メンバーが引き合いに出される。98年までW杯に出られなかった日本で、68年メキシコ五輪の銅メダルメンバーがずっと幅を利かせていたのと状況は似ている。

 ただし、66年の世界一メンバーには、世界サッカー史にさん然と名を残す3人の名手がいたのは確かだ。攻撃的なMFだったボビー・チャールトン、守備の要だったムーア主将、鉄壁の守りを見せたGKバンクスである。同じ3人が健在だった70年W杯も、いくつかの不運と監督の采配ミスがなければ、チームはブラジルと決勝を争っていたのではないだろうか。

 B・チャールトンはマンチェスター・ユナイテッドの一員として58年の航空機事故に遭いながら、何とか生き残った中の1人だ。当初の左ウイングから攻撃の中心へとポジションを変え、総合的な能力を発揮。「キャノン(大砲)シュート」と呼ばれた左右のキック力に加え、優れた戦術眼とパスのセンスを併せ持っていた。66年大会ではメキシコ戦で鮮やかな先制ゴールを決め、準決勝のポルトガル戦ではチームの全2点を挙げる活躍を演じて優勝に大きく貢献した。

 イングランド代表通算49得点(後にルーニーが最多記録を更新)。その能力の高さは、66年W杯の決勝、70年の準々決勝で、西ドイツのシェーン監督が、自軍の最も優秀な選手であるベッケンバウアーを、B・チャールトンのマーク役で起用したことが明確に物語っている。シェーン監督は、チャールトンを抑え込めなければ、イングランド相手に勝ち目はないと分析し、ドイツの攻撃力を落としてまで徹底的にマークする作戦に出たのだ。

 ムーアは2度目のW杯となった66年大会で優勝トロフィーを真っ先に受ける栄誉を得た。当時25歳。年長者が大勢いる中で主将を任され、激しいプレッシャーの中でも冷静に戦い抜いた。危険察知能力が抜群。スピードがあったわけでも、空中戦に強かったわけでもないのに、相手の攻めを読み、危険地帯を的確にカバーする守りでピンチの芽を摘んだ。

 光ったのはタックルの正確さ。最高のタイミングで奪いに出るため、相手ボールが面白いようにムーアの足に引っ掛かった。また、ムーアが後尾から出すパスは精度が高く、攻撃に直結する意味のあるものが多かった。66年決勝では、素早い判断から蹴った長いFKが、ハーストの同点ゴールを生んだ。がんによる早世が惜しまれるイングランドサッカー界の宝だった。

 バンクスはヤシンと並ぶ歴代最高のGKに数えられている。あまりの堅守に、ついたあだ名は「バンク・オブ・イングランド(イングランド銀行)」。好守を好守と見せないほどポジショニングが良く、下手なキーパーなら超美技が必要となるようなシュートを、何気なくさばいていた。

 そんな中、70年W杯のブラジル戦でペレの必殺のヘディングシュートを右に飛んではじき出した守りは「世紀のセーブ」と言われる。準々決勝の西ドイツ戦は腹をこわして無念の欠場。このアクシデントがなければ、イングランドは2-0で逃げ切り、準決勝でもイタリアを破ってブラジルとの再戦に臨んでいたのではないか。交通事故で目を傷めて引退。バンクスが健在なら、イングランドの74年W杯予選敗退はなかったはずで、したがって同大会でのポーランドの活躍も見られなかったであろう。

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