ワールドカップ歴代最多優勝を誇る「サッカー王国」は、勝ち方にもこだわる。華麗な足技と積極的な攻撃姿勢を愛する国民性。つまらないサッカーで勝ちを収めても、ファンは納得しない。普通の国は、少々内容が悪くても、勝てば御の字。しかし、ブラジル国民は美しくないサッカーでは許してくれない。だから、守備を重視して優勝した1994年のワールドカップ(W杯)代表チームは、24年ぶりの栄冠を勝ち取ったというのに、評価されなかった。優勝を果たせなくても、「黄金の中盤」を軸にファンを魅了した82年の代表や、フランスと死闘を繰り広げた86年の代表を、ファンは愛している。
逆に言えば、そんな厳しい目が、華麗なテクニックに優れた選手たちを磨く。路地裏でボールを蹴っていた少年から、世界の名手へと飛躍を遂げた選手たちは枚挙にいとまがない。その中でも、絶対的な存在がいる。いずれも1958年のW杯初制覇の中心的存在となった攻撃の中心ペレ、ウイングのガリンシャだ。
「キング(王様)」と呼ばれたペレは説明無用な存在。得点を奪う総合的な攻撃テクニックに加え、自らがマークを引き付けて周囲を生かす戦術眼、パスの能力も抜群だった。敵・味方の位置、自分との距離を察知するセンスに優れ、最良のプレーを瞬時に選択する。自ら積極的にゴールを狙うとともに、時には黒子となって味方のゴールを演出した。左右の両足から正確なシュートを繰り出したことに加え、170センチ強という身長にもかかわらず、ヘッドでも貴重なゴールを奪った。
17歳でW杯に鮮烈なデビューを果たし、決勝の2得点をふくむ6ゴールを重ねた。29歳で迎えた70年W杯ではチームメートの持ち味を引き出す円熟したプレーが光った。W杯通算は12得点。62年大会は負傷で途中離脱。66年大会も相手ラフプレーの標的となってけがに泣いた。この2大会でも健在なら、ゴール数はどこまで伸びていただろうか。
敵を幻惑するフェイントや切り返しを駆使したガリンシャは、右サイドを切り裂くドリブルに加え、フリーキックもうまく、何度も貴重なゴールをたたき出した。ペレがけがに見舞われた62年W杯では大会連覇をもたらすヒーローに。相手守備陣はガリンシャがフェイントをかけてくることを予想していながら、鋭い動きを止められなかった。
ペレと前線でコンビを組むFWは、W杯歴代最多得点のロナウド、70年W杯優勝メンバーのトスタンとジャイルジーニョ、38年と50年W杯得点王のレオニダスとアデミール、58年W杯のババ、新エースのネイマールらが候補になる。レオニダスはバイシクルキックの名手として知られた。トスタンは敵の穴を見つけ出す知性的なプレーが光り、右サイドから切れ込むのを得意にしたジャイルジーニョは70年W杯の大会全試合(6戦)でゴールをマークする史上唯一の快挙を成し遂げている。
86年W杯ではカレカが5得点と決定力を発揮した。「黄金の中盤」を要した82年大会。カレカがけがで欠場していなければブラジルが優勝を逃すことはなかったかもしれない。
94年W杯の代表は、極端に言えば、「攻めはロマーリオとベベットにお任せ」のチームだった。中盤は守備を重視し、奪ったボールは前の2人に預ける。ロマーリオは170センチ足らずの小柄ながら低重心で競り合いにも強く、鋭いパスへの反応、好位置に入り込む得点感覚を生かしてゴールを重ねた。バルセロナでは「黄金時代」の一翼を担い、クライフ監督は「ペナルティーエリア内の天才」と評した。
ロナウドは94年、17歳でW杯代表に。W杯で計15ゴールをたたき出し、98年の準優勝、2002年の優勝に大きく貢献。パスやこぼれ球への反応が鋭く、一瞬の動きで相手マークを外すのが得意だった。
ネイマールはドリブル、シュートのうまさ、速さに加え、周囲を生かす能力も所属したクラブのバルセロナやパリ・サンジェルマンでの活躍で実証済み。母国で64年ぶりの開催となった14年W杯では大黒柱として奮闘し、チーム最多の4得点。しかし、準々決勝のコロンビア戦で手荒いチャージを受けて腰骨を骨折。エースを欠いたチームは準決勝でドイツに1-7と完敗した。ネイマールが先輩の巨星たちにどこまで迫れるかは、今後の活躍ぶりにかかる。
18年W杯では随所に高い能力を発揮する一方、相手の反則を受けて大げさに倒れ込む場面が多く、世界中のファンから「演技が過ぎる」と失笑を買った。チームもベルギーに敗れて8強止まり。忍耐強いプレーを見せてチームの再浮上に大きく貢献しない限り、マイナス面の印象がぬぐえなくなってしまうだろう。
最強イレブンのFWのペレのパートナーには、39歳で母国の得点王にも輝いたロマーリオを、息の長さ、安定感を評価して選ぶことにする。ロナウドは、衰えるのが少し早かった。
特集
コラム・連載