4年が経ち、時は86年になる。この間、フランスは84年の欧州選手権に初優勝。将軍プラティニ主将が全5試合で計9ゴールを量産、チームは持ち前の攻撃サッカーを大きく開花させた。「4年前の雪辱も果たしてW杯でも初優勝だ」。86年W杯を前に、フランス国民の期待も膨らんだ。メディアも力が入り、フランス通信(AFP)は従来よりかなり大勢のスタッフをメキシコへと送り込んだ。
一方、4年前に苦い敗戦で優勝を逃したブラジルは中盤の黄金の4人のうち、ジーコとソクラテス、ファルカンが代表メンバーに残留。4年前の課題だったセンターフォワードにカレカという人材を得たほか、センターバックのエジーニョ、ジュリオ・セザールを中心に守備の安定感は4年前を大きく上回っていた。チームの象徴であるジーコが故障を抱え、フル出場は難しい状況ではあったが…。
一方、この大会で世界のサッカーファンを驚かせたのがW杯初出場のデンマークだった。プレベン・エルケーア、ミカエル・ラウドルップの2トップはこの大会随一と言っていいFWコンビ。長いパスを得意とするMFセーレン・レアビー、右サイドのMFフランク・アルネセン、リベロのモアテン・オルセンとワールドクラスの選手を要所にそろえ、大会前から期待を集める存在だった。
ドイツはと言えば、84年欧州選手権で珍しい1次リーグ敗退を喫し、そう代わり映えしないメンバーでメキシコに降り立った。中盤に入ったローター・マテウス、左DFアンドレアス・ブレーメ、FWルディ・フェラーがめぼしい新戦力。体調が万全でないルンメニゲが相変わらずチームの顔だった。74年W杯優勝時の主将ベッケンバウアーが監督の正式な資格を持たないままチームを率いることになった。ちなみに、この86年大会は筆者が初めて現場で取材するW杯だった。
フェラーはこの時期、ベルダー・ブレーメンで奥寺康彦のチームメート。筆者はブンデスリーガでプレーするフェラーは奥寺の同僚として熱心に応援し、西ドイツ代表のフェラーは失敗を願うという極めてげんきんな観戦スタイルだった。大好きだったイングランド代表の名手ケビン・キーガンがハンブルガーSV時代に2度の欧州最優秀選手に輝く活躍を演じたこともあり、もともとブンデスリーガへの関心は高かった。クラブチームに関しては、代表チームほどの嫌悪感はなかったのである。
メキシコ大会の1次リーグではブラジルとデンマークが3戦全勝。25歳で体が切れまくっていたディエゴ・マラドーナを擁するアルゼンチンも2勝1分けで難なく通過した。フランスもプラティニが絶好調とは言えないながらも2勝1分け。対するドイツはデンマークと同じE組で1勝1分け1敗ながら、ウルグアイとスコットランドを抑え、2位で突破した。
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