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だからサッカー・ドイツ代表が嫌いだった~最強チームへの敬意を込めて

ドイツ嫌いに転じた82年

 巨人に関する感情と同様に、サッカーのドイツ代表に関しても、一気に好きから嫌いへと気持ちが激変する出来事があった。82年、スペインで開催されたW杯。この大会の西ドイツ代表は、世界のファンの多くを敵に回す二つの大きなスキャンダルを起こした。

 まずは八百長である。80年の欧州選手権で2大会ぶりの優勝を果たし、欧州王者として大会に臨んだ西ドイツは、1次リーグの初戦でアフリカのアルジェリアに1-2で敗れる衝撃のスタートとなった。アルジェリアは第2戦でオーストリアに敗れ、第3戦でチリを破って2勝1敗。対する西ドイツは第2戦でチリに快勝し、第3戦でオーストリアと対戦することになった。

 このころは1次リーグ最終戦を同時に行う方式は実施されておらず、アルジェリアが先に第3戦を終えていた。オーストリアはチリとアルジェリアに連勝。オーストリアが西ドイツを破るか引き分ければオーストリアとアルジェリアが2次リーグに進出。西ドイツが勝てば2勝1敗で3チームが並び、得失点差の争いとなる。2点差までの勝利なら西ドイツとオーストリアが、3点差以上で勝てばオーストリアが脱落し、西ドイツとアルジェリアが勝ち進む状況になった。

 問題の最終戦は西ドイツが10分、ホルスト・ルベッシュのゴールで先制。すると、残る80分強、両チームはまともに攻めようとせず、1-0のまま終了した。この結果、隣国の西ドイツとオーストリアが仲良く2次リーグに進出。ラクダル・ベルミ、ラバー・マジェールらの好選手が台頭して旋風を巻き起こしたアルジェリアが涙を飲んだ。西ドイツとオーストリアが互いに望む結果を手にした「談合試合」を演じたのは明らかだった。

 これは、W杯、世界サッカーの歴史に大きな汚点を残したと筆者は考えている。W杯におけるアフリカ勢は78年大会でチュニジアがメキシコを破って西ドイツと引き分けるなど1勝1分け1敗と健闘。82年大会ではアルジェリアとカメルーン(イタリア、ポーランド、ペルーの入ったグループを3分けで終える)がさらにレベルを上げ、アウトサイダーから脱皮する上昇気流を起こしていた。その流れを悪質な談合試合で断った罪は非常に重い。アルジェリアのファンがお札に火をつけながら「八百長試合」を糾弾する怒りのポーズで抗議するニュース映像を見て、筆者の憤りは増幅した。当時をよく知るアルジェリアのファンでドイツ代表が好きな人は皆無に近いだろう。

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