ガザ市内のシファ病院を再訪した。この時、既にパレスチナ人死者数は1800人以上に達し、避難所として開放されていた国連の学校はどこも定員オーバー。病院の敷地では、行き場所のない住民が、布とひもでテントのようなものを作って避難所の代わりにしていた。その様子はさながら難民キャンプだ。
ガザの保健省の報道担当者に再び話しを聞くと、早口かつよどみなく、死者数と負傷者数、不足している物品、国際社会への要求などが返ってきた。敷地内には約3000人の住民が「避難」しているという。病院内の水やトイレなどを勝手に使っているが、事実上黙認している。
入院棟に入ると人であふれかえっていた。付き添いの家族だろうか、疲れきった顔で廊下の椅子に腰掛けている。子供専用エリアの病室では、体中に包帯を巻かれ、意識もうろうとした子供たちがベッドに横たわっていた。
その中の一人は、空爆で破壊された建物の破片が体に刺さり、頭蓋骨や内臓を損傷。「破片がおなかから背中に貫通して、飲食が一切できないの」。母親はわが子の小さな手を握りながらただただ回復だけを祈っていた。
イスラエル軍による攻撃でガザの経済も破壊された。
ガザ最大の老舗製菓会社「アルアウダ」の経営者ムハンマド・アルテルバニさん(61)は、「44年間の蓄積が一夜で消えた」と声を荒げた。1977年創立。ガザ中部にある面積約1万7000平方メートルの工場を訪れると、イスラエル軍の砲撃により黒こげになった建物の中は、煙がくすぶっていた。
イスラエルから電話通告があったのは7月31日深夜。約1時間後に工場が攻撃された。狙われた理由について「イスラエルはガザの経済をめちゃくちゃにしたかっただけだ」と吐き捨てた。
この会社が製造するスナックやアイスクリーム、ジュースなどは、かつて欧州などにも輸出されていたが、経済封鎖の影響でヨルダン川西岸のパレスチナ自治区に搬送するので精一杯。それでも約500人の従業員が3交代制で24時間勤務していた。工場を再建するのに約2000万ドルかかると見積もる。
「自由を得るためにはコストがかかる」。ハマスが停戦をかたくなに拒んだゆえ、工場も被害にあったのではないかと問うても、アルテルバニさんは首を横に振るばかり。「ハマスが問題ではなくて、パレスチナ人である限り直面し続ける問題だ」。その目の奥には闘志が光っていた。
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