最初に訪れたのは、ガザ地区最大のシファ病院。報道陣が病院の入り口で待機し、救急車でけが人が搬送されてくるたびに担架に群がる。ハマスの警察官とみられる男たちも制服姿で敷地内をウロウロしていた。病院にいれば狙われないとの考えだろう。
事務棟にいたガザの保健省の報道担当者は「24人が死亡し、約200人が負傷した。イスラエル軍は市民を意図的に狙っている」と熱っぽく語った。燃料不足で救急車の半数しか使えないことなどを聞きながら、先行きを案じたが、この不安は長く悲惨な戦闘の序章に過ぎなかった。
その後、取材許可を取って入院病棟に入った。小部屋だと平均3人、大部屋だとその倍の患者が入院しているが、家族そろって一緒にいるため、賑やかな声が漏れてくる。そのうちの一室に入ると、パレスチナ難民3世のアブシャディ・ハミードさん(62)の一家が集まっていた。
7月9日未明、イスラエル軍が中部ヌセイラト難民キャンプにあるハミードさんの自宅脇を空爆、15人家族のうち8人が負傷した。5~17歳の孫娘3人は腕や足に重傷を負い、手術のため病院に運ばれた。
「悪い予感がしたの」。高校卒業を控えたアマーンさん(17)はベッドの上で、か細い声を出した。2008年の戦闘時にも南部ラファの自宅が空爆されており、今回で2回目だという。
ガザでは、イスラエル軍による空爆を2回以上経験している住民も珍しくない。だが、人生で最も多感な少年・少女時代に戦闘の記憶や憎しみが刻まれれば、その傷はより深くなる。「どうやったら解決できる?」と聞くと、アマーンさんは「それぞれ別々に生きるべきだと思う」と力強く答えた。パレスチナ国家樹立を待ち望むのは大人だけではない。
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