遺骨収集に捧げた60年~沖縄「ガマ」の悲劇~

「白梅之塔」

 太平洋戦争末期、米軍の沖縄上陸作戦が始まると、住民たちは沖縄地方の方言で「ガマ」と呼ばれる自然洞窟や防空壕などに身を隠して生活することを余儀なくされた。生き残った人の証言では、米軍の火炎放射で焼き殺された人、日本兵に自決を強いられた人、マラリアや飢えで亡くなった人もいたという。非業の死を遂げた多くの人々が今も眠るガマで、約60年にわたって遺骨の収集に身を投じてきた男性がいる。沖縄県那覇市の国吉勇さん(76)。多くを語らず、黙々と暗い洞窟で土を掘る姿には、平和に対する強い思いと執念がにじみ出ていた。(時事通信社・竹井路子)

 国吉さんがこれまでに発掘調査したガマや人工の壕は糸満市だけでも50を超える。今、収集に取り組んでいる壕の一つが、白梅学徒隊として瀕死の兵士の看護に当たっていた沖縄県立第二高等女学校の生徒らが犠牲になったガマだ。洞窟の近くには慰霊碑「白梅之塔」が建てられている。

 那覇空港から青い海を横目に車を走らせること約30分。沖縄県糸満市の国吉集落を抜けると、両脇に農地が広がる。案内板を頼りにさらに進むと、木が生い茂る中にひっそりと白梅之塔はあった。

 慰霊塔に手を合わせ、壕の入り口に向かった。

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