北朝鮮の女子中高校生らにロックを教える活動をしてきた爆風スランプのドラマー、ファンキー末吉さんが2012年11月、自らの体験をまとめた著書「平壌6月9日高等中学校・軽音楽部」(集英社インターナショナル)を出版した。
直後に北朝鮮が長距離ミサイルを発射し、「逆風」の中での出版となった。しかし、末吉さんは「北朝鮮の本というよりは、北朝鮮が舞台のロックの本」と考え、「国交がない日朝間だからこそ、民間交流の道を切り開いていきたい」と、今後の活動に思いを新たにしている。著書に込めた思いについて、末吉さんから話を聞いた。(なお、ロック教室で制作された音源は末吉さんのブログで公開中)
―2006年に始まった「ロック教室」の集大成ですね。
私が作曲し、彼女たちと作った音楽をCD化したかったが、権利関係もありいろいろとややこしい。ただ、区切りをつけたかったし、日本の読者に北朝鮮の現実も伝えたかった。立場はどうであれ、情報として現実を知っておく必要がある。本を書くことで登場人物に危害が及ぶかもしれず、書くのには相当なパワーを使った。
―ロック教室を開いた背景は。
中国でロックが非合法だった時代から中国のロッカーを支援してきたという自負がある。しかし、中国のロックは商業化し、わたしにはおもしろくなくなってきた。そのときに「北朝鮮でロック教室をやりませんか」と話が持ち込まれ、「それはおもしろい」となった。ドラムをたたけば世界どこでも一緒。同じことをやればいい。ドラムは演奏が難しいギターとは違い、失敗したら笑いが出るからコミュニケーションにちょうどいい。
―トラブルも多かったようですね。
北朝鮮ではロックは「敵の音楽」。中国ではロック黎明期だったが、北朝鮮はまだ始まってさえいない。ロックという言葉も翻訳できず、「新しい技術を教える先生」ということになった。広場でドラムをたたいていたら怒られたり、軍から中止命令が出たりとトラブルも相次いだが、中国のロック黎明期の方がひどかった。軟禁されたこともあるし、スタッフが殴られたこともある。ただ、その経験がなかったら(北朝鮮でのロック教室は)無理だったかもしれない。
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