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【今月の映画】

村上春樹原作、濱口竜介監督・脚本「ドライブ・マイ・カー」

映画、文学、演劇の見事なコラボレーション

 今年のフランス・カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で脚本賞などに輝いた映画「ドライブ・マイ・カー」は、村上春樹の同名の短編小説を「ハッピーアワー」や「寝ても覚めても」で知られる俊英、濱口竜介監督が大江崇允との共同脚本により映像化した作品だ。(時事通信編集委員 小菅昭彦)

 原作自体は連作「女のいない男たち」の一作だが、映画ではこの連作に含まれる「シェエラザード」と「木野」に加え、オリジナル要素も盛り込んだことで、3時間近い長尺となった。しかし、多彩な人間模様がモザイクのように散りばめられ、その長さを全く感じさせない。原作の根幹を押さえただけではなく、映画でありながら演劇の魅力も巧みに組み込んだ構成にうならされてしまう。

 舞台俳優で演出家の家福悠介(かふく・ゆうすけ=西島秀俊)は妻の音(おと=霧島れいか)と何不自由のない満ち足りた生活を送っていた。ある日、妻の〝もうひとつの顔〟を偶然目撃し衝撃を受けるが、間もなく彼女は突然この世を去ってしまう。

 2年後、広島で開催される演劇祭でチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を演出することになった家福は、専属ドライバーとしてみさき(三浦透子)を採用する。彼はみさきや演劇祭の参加メンバーと時を過ごすうち、これまで目を背けていたあることに気付かされる―。

 物語は、妻を失った喪失感を抱えつつ、今も彼女の秘密に対する複雑な思いから脱却できない家福の心の軌跡をつづる。今作では音と関わりを持つ俳優の高槻(岡田将生)の存在を膨らませ、さらに演劇祭に参加するメンバー(パク・ユリム、ジン・デヨン、ソニア・ユアン)らのドラマを新たに盛り込むことで、長編映画足り得る内容に仕上げている。

 原作にはない家福とみさきの〝その後〟も映画オリジナルで付け加えているが、この最終章によって二人の心の空白と孤独な魂のめぐり逢いという原作の主軸がより明瞭になり、見る者に深い感銘を与える。濱口監督は原作を単にトレースするのではなく、その内容をより深めたと言える。

 映画の中盤までは、家福と音の暮らしを描く長いプロローグと、広島に赴いた家福とそこで出会った人々との描写に費やされる。どこか謎めいて観客を幻惑するようなやり取りが挟まれ、人間の濃厚な息遣いも感じさせるが、全体的なトーンは淡々としており、物語も穏やかに進行していく。

 ところが後半、まるで川がいきなり急流になるかのように転調する。その「静」から「動」への変化が鮮やかだ。そこでは多くの観客が抱えていたであろうモヤモヤ感がミステリーの謎解きのように解消されるが、明かされる〝真実〟には曖昧さも残され、観客は人間の不可思議さに思いをはせるに違いない。

 この簡単には割り切れない人間存在は原作者の村上が描いてきたテーマの一つでもあり、その輪郭がくっきりと浮かび上がるという点において、今作は村上文学の極めてまっとうな映像化作品と言える。そこで描かれる不条理にも似た感覚はヌーベルバーグ作品にも通じる味があり、フランスでの高評価にも納得がいく。

「ワーニャ伯父さん」のせりふが心情にシンクロ

 村上文学の忠実な具現化に加え、今作が演劇という芸術の魅力を内包している点にも注目したい。舞台を広島に移してからのオーディションやリハーサルのシーンには演劇の内幕物的な面白さがあり、西島や岡田はステージで演じる場面で見事な舞台俳優ぶりを見せる。近年は演劇での活躍も目立つ岡田に対し、西島は舞台出演から遠ざかっているものの、堂々たる芝居には迫力があり、一瞬、本当に舞台を見ているような錯覚に陥ってしまった。

 家福は、妻が吹き込んだテープの声を相手に、自分が演出したり演じたりする戯曲のせりふを音読することを日課にしていたが、広島ではみさきと「ワーニャ伯父さん」の一節をやり取りするようになる。原作小説にも二人がこの戯曲について語る場面はあるが、映画ではそのせりふはより多く引用される。

 そのせりふは見事に二人の置かれた状況や心情にシンクロし、家福だけでなくみさきの内面をも浮き彫りにする。観客は次第に、戯曲のせりふなのか、彼らの内なる言葉なのかが分からなくなり、幻惑されるだろう。その感覚は決して不快なものではなく、不思議な心地よさをもたらすに違いない。

 可能であれば鑑賞前に「ワーニャ伯父さん」の物語を知っておくと、作品の面白さは倍増するだろう。劇中にはこのほか、ベケットの「ゴドーを待ちながら」も登場し、物語と呼応する。短編小説をベースにしながら、そこに有名戯曲を巧妙に絡み合わせた構成は見事の一言で、この仕掛けがカンヌでの脚本賞受賞という成果につながったであろうことは想像に難くない。

 劇中では「ワーニャ伯父さん」のラストも再現されるが、濱口はめいのソーニャを演じる女性をろうあ者という設定にして、彼女のせりふを全て手話と字幕によって示した。あたかもサイレントフィルムを見るような映像は、舞台を描きながら映画の原初的な魅力も感じさせ、強いインパクトを見る者に与える。

 俳優陣は、今やベテランの域に突入した西島が陰影のある人物を安定感のある演技で表現し、岡田は自分をうまくコントロールできない青年を危うさもにじませながら巧演。特に物語の後半で展開する二人の静かな〝対決〟は緊張感あふれる名場面に仕上がり、大きな見せ場となっている。

 みさき役の三浦と音役の霧島は、感情を排したような、まるで棒読みにも聞こえかねないせりふ回しが印象的だが、それが逆に「この女性の真意はどこにあるのだろう?」との興味をかき立てる。三浦は24歳の若さながら、俳優のキャリアは20年近くを数え、先輩の西島を相手に堂々たる演技を見せる。一見、表情が乏しいようでいて、その隠された心情がにじみ出るようなたたずまいがみさきの人物像をより奥深いものにしている。

 外国人の出演者のうち、演劇祭の通訳役のジンと彼の妻でろうあの俳優役のパクは韓国、高槻に引かれるジャニスを演じるユアンは台湾からの参加。国籍の違う人々が時にギクシャクしながらもひとつの演劇を作り上げていく姿は、濱口監督の世界を見据えた作品作りへの意欲の表れにも見えた。

 濱口監督は「ハッピーアワー」(2015年)がスイスのロカルノ国際映画祭の最優秀女優賞などを受賞したほか、昨年公開され黒沢清監督がベネチア国際映画祭の監督賞(銀獅子賞)を獲得した「スパイの妻〈劇場版〉」では脚本を担当。今年12月に公開予定の「偶然と想像」ではベルリン国際映画祭の審査員大賞(銀熊賞)を受賞するなど、今や日本を代表する映像作家としての地位を固めつつある。

 今作は高く評価された物語の緻密さ以外にも、ヨーロッパのアート映画を思わせる落ち着いたトーンの撮影や、ジャズ愛好家としても知られる村上を意識したようなエンディング音楽など注目すべき点は多い。文学と演劇、映画の見事なコラボレーションを実現した〝現在進行形〟の才能の仕事をぜひ劇場のスクリーンで堪能してほしい。

 「ドライブ・マイ・カー」は公開中。

(2021年8月24日掲載)

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