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【今月の映画】

ジョニー・フリン主演、英加映画「スターダスト」

ボウイとは「一体誰だったのか」

 音楽家の伝記映画は難しい。多くの代表曲を映画の中に取り込もうとすると、映画の流れが停滞しかねず、一歩間違うと名曲ダイジェストのような作品になってしまう。また、対象となる音楽家がいかに革命的だったかを逐一映像化しようとすればするほど、凡庸な偉人伝のようになる危険もある。さらに、そもそもその音楽家について観客がどれほど予備知識をもっているかによっても評価が分かれる可能性もある。(京都市立芸術大学講師 齋藤桂)

 それでも、映画史の初期から、クラシックやジャズ、ロックなどさまざまなジャンルの音楽家の伝記映画が作られ続けてきた。それだけ、音楽家の人生に創作の源泉を見いだそうとする、ロマンチックな欲求は強いのだろう。

 近年では、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」(2018)やエルトン・ジョンの「ロケットマン」(2019)などのヒットもあった。2016年に逝去したデビッド・ボウイを扱った伝記映画と聞くと、同じような大作を連想するかもしれないが、本作『スターダスト』は大きく毛色が異なっている。

 本作が描くのは、デビッド・ボウイが1971年にアメリカで行ったプロモーションツアーとその前後で、中心となるのはほんの数週間の出来事。ボウイが、本国イギリスとは異なって、アメリカではほとんど無名だった時代に、小さなパーティーでの売り込みや有名雑誌のインタビューをとるためにアメリカでの広報担当者ロン・オバーマンと共に各都市を巡った、いわば「ドサ回り」の仕事である。その中で、イギリスとアメリカとの違いや、家族の問題、そして何より音楽家としての自身のアイデンティティーの葛藤に直面する。

 あらすじからも分かるように、本作は偉人伝というには扱う期間が短すぎる。しかも、一度もボウイの曲が流れることがない。代わりに使われるのは、同時代のヒット曲や、実際にボウイがカバーしたフランスの歌手、ジャック・ブレルの作品。この、自作曲が登場しないという構成は、既にキャリアのあった時期なので不自然ではある。だが、そこからも本作が、ヒット曲満載のボウイ伝を目指したのではないことが分かる。ボウイ役のジョニー・フリンは自分自身の音楽活動もする役者だが、彼の歌声も、安易なボウイの物まねのような滑稽さを免れている。

 焦点が当たるのは、ボウイとオバーマンの関係で、時に衝突しつつも旅をするに従って信頼関係が生まれてくるという、いわば王道のロードムービーだ。暗いイギリスに対比させたアメリカの明るく広大な景色や、同じく広いアメリカ車の中での二人の距離感の移り変わりなど、定番ではあるが丁寧な演出に好感をもった。数少ないアメリカでのボウイの理解者、オバーマン役のマーク・マロンの深刻になり過ぎない演技も見ていて心地が良い。

 印象的なのは、主人公が繰り返し「君は一体誰なのか」という趣旨のことを尋ねられること。さまざまな有名ミュージシャンが個性を発揮する中で、ある種「商品」として常に何者かであることを求められるショービジネスの世界を象徴している。自分らしくあるために、自分らしさを作り上げなければいけないという矛盾は、ボウイのような天才だけでなく多くの人が共感するものだろう。本作のラストでは、この自分らしさについて一応の答えが提示されるが、もちろんそれは暫定的なものであって、私たちは、その後もボウイはさまざまにスタイルやイメージを変えることを知っている。

 逸話や裏話がたくさん盛り込まれているわけではない。ひたすら才能をたたえる内容でもない。もしかするとボウイに思い入れがあるファンほど、期待外れな印象をもつ映画かもしれない。むしろ、もう少し普遍的に、駆け出しの一音楽家の苦闘を過不足なく描いた映画として楽しむのがふさわしい作品だ。

 「スターダスト」は10月8日公開。

(2021年9月23日掲載)

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