◆コラム 花とじょっぱりのあざなえる「綱」
 若林哲治の土俵百景

2022年07月20日15時00分

元横綱2代目若乃花逝く

 初めて話をしたのは1973年10月だった。といっても、会話らしい会話ではない。場所は静岡県富士宮市の市営グラウンドで行われた巡業の会場、私は市内の中学3年生。

 直前の秋場所、若三杉は十両2場所目で10勝を挙げ、翌場所の新入幕が確実だった。必ず強くなると思って、稽古後に色紙を差し出した。

 「サインください」「サイン? 俺?」

 そばにいた力士に冷やかされながら、マジックを走らせた。「サイン初心者」らしく、はっきり読める字で「若三杉」と書かれている。翌年に新三役、77年に大関昇進。78年夏場所後、横綱になって師匠である「土俵の鬼」二子山親方の「若乃花」を継いだ。

 その元横綱2代目若乃花、元間垣親方の下山勝則さんが7月16日、亡くなった。69歳だった。

 横綱昇進後は16場所連続2けた勝ち星を挙げ、この間に優勝3回。78年九州場所は肝臓が悪くて場所前から力が出なかったが、後に「休みたいなんてうちのオヤジ(師匠)に口が裂けても言えない。我慢して出たら全勝優勝しちゃったよ」と聞いた。

 最盛期には同じ「花のニッパチ(昭和28年生まれ)」の北の湖とも、対戦すれば互角だった。北の湖の馬力が若乃花の柔らかい体に吸収されるかのような相撲が多かった。

 「水もしたたる」とはこのことだった。「美剣士」の異名を取る端正な顔立ち。186センチ、133キロの均整の取れた体格。吊り屋根のライトに照らされる肌が、力士の中でもひときわきれいだった。

 土俵中央で左からひねりながら打つ右の上手投げ。文字通り、刈り取るような外掛け。勝ちっぷりもさっそうとして美しかった。その後、こんな横綱は同じ青森県出身で、さらに技巧が加わった旭富士(現伊勢ケ浜親方)ぐらいだろう。

 だが、81年に入って暗転する。荒稽古の蓄積か、昇進前から抱えていた頸椎、腰椎の痛みで春場所から3場所連続休場。秋場所で11勝して一息ついたら、今度は突然の直腸周囲膿瘍に見舞われ、九州場所を全休する。後で聞くと、尻の肉を「バナナ1本分ぐらい取った」そうだ。

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