「土俵の鬼」と呼ばれた昭和の名力士で、引退後は日本相撲協会理事長としても大相撲の発展に尽力した元横綱初代若乃花の花田勝治(はなだ・かつじ)氏が2010年9月1日午後5時25分、腎細胞がんのため東京都内の病院で死去した。82歳だった。
相撲協会に残る記録によると、元横綱では初代梅ケ谷の83歳に次ぐ長寿だったが、近年は体調を崩しがちだった。
青森県弘前市出身。1946年秋場所、18歳で初土俵。100キロ前後の軽量ながら、少年時代の港湾労働などで培われた強靭(きょうじん)な足腰を猛げいこでさらに鍛え、呼び戻しなどの豪快な技を連発。「異能力士」ともいわれた。
56年初場所、新大関。58年初場所後、2度目の優勝を果たして45人目の横綱に昇進し、栃錦とともに「栃若時代」を築いて数々の名勝負を残した。優勝10回。
62年春場所を最後に引退して東京都杉並区に二子山部屋を興し、横綱二代目若乃花、隆の里の2横綱と貴ノ花、若嶋津の2大関ら19人の関取(十両以上)を育成。実弟の貴ノ花が75年春場所で初優勝し、表彰式で優勝旗を渡した場面は日本中の感動を呼んだ。「若貴兄弟」はおいに当たる。
88年2月、元栃錦の春日野理事長の後を受けて理事長に就任した。2期4年の在任中には立ち合い正常化などを推進。65歳の定年退職後、96年9月まで相撲博物館館長を務めた。
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