映画「ぼくのおじさん」のおいのモデルに聞く
―映画で印象的だったところは?
原作を読んで、「世界中が仲良くしなければ」という考えを(北さんが)持っていたのだと分かりました。そういう話をしたことはなかったけれど。(注)
続いて映画を見て、いろいろ本物と重なり、懐かしくなる部分がありました。
一番肝心だと思ったのは食事のシーンで、昔と同じだなと感じました。居候でも家族の一員として、みんなが普通に生活している。今は失われたかもしれないけど、そういうのは大事だなと思います。
―斎藤さんにとって北さんはどんな存在でしたか。
私の父は厳しくて、家の中では怖かったです。話ができるようになったのは高校3年ぐらいだったかな。だから、おじきの存在は大きかった。父とは11歳違ったし、(気持ちの上では)こっちに近いぐらい。今はおじさんが同居するなんて、まずないですよね。そのゆとりもないし。
―北さんから影響を受けたことはありますか。
斎藤家には収集癖のある人が多いんです(北さんは昆虫コレクション、茂太さんは飛行機マニアで有名)。僕はプラモデルを10歳からやっています。亡くなった弟は牛乳のふたや駅弁のコレクションをしていました。
精神科医になることはおじきには相談しませんでしたね。全然(笑)。
―後年、北さんは自らのそううつ病(双極性障害)を公言します。
大半の人がそううつ病を知らない時代でしたが、精神科(の病院)で育っているから、偏見は全くありませんでした。広めようとか大それたことでなく、自然に普通に、いろいろな場で「自分がそううつ病」としゃべっていました。
―北さんは友人が多く、遠藤周作さん、星新一さん、阿川弘之さんらが楽しそうに付き合っていたと聞きました。
おじきはマイペースで、体裁とかは考えなかったような気がします。おおらかというか。困った人だけど憎めない。そんな人柄なんでしょうかね。北杜夫のことを嫌いな人は、どれくらいいるんだろう?
(注=北さんは原作の「あとがき」で子どもたちに向け、「みなさんも、日本の国のことをまず知り勉強するとともに、日本と世界との関係ということも学んでいってください。そうすることが、世界をよりよくすることだと思います」と呼び掛けている)
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