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「こんな親戚、いませんかね?」

 映画「ぼくのおじさん」を見て 香山リカ

あくせく働くだけが人生ではない

 作家の故北杜夫氏が自身をモデルに書いたユーモア小説が原作の映画「ぼくのおじさん」。精神科医でもあった異色の作家が描いた、どこかほっとさせてくれる物語。同じく精神科医で、現代人の心の問題についてさまざまな発信を行っている香山リカさんに、映画評を寄稿してもらった。

    ※    ※    ※

 精神科医の私の元には、家族の問題で相談に来る人がとても多い。家族と言ってもたいていは親子。親子は関係が近いだけに愛情も憎しみも濃くなりがち。親子しかいない家は圧力ナベと同じ、と言った精神医学者がいるが、まさにその通り。息が詰まりそうになる。

 そんなとき私は、こうアドバイスする。「誰か、他人でもなければ親子でもない、そうですね、おじさんかおばさんに当たるような親族はいませんか? その人にちょっと中に入ってもらうと、だいぶ風通しが良くなるのですが」。残念ながら多くの場合、「そんな人いません」と言われて終わってしまうが。

 さて、ようやく作品の話だ。

 本作の主人公・雪男くんの家には圧力ナベというほど愛憎が渦巻いているわけではないが、それでも若干の堅苦しさは漂っている。そして、そこに居候している父親の弟で自称・哲学者のおじさんのユルさ、ダメさ加減ったらない。雪男くんに漫画雑誌をせびり、万年床でネコと一緒にそれを読んでゴロ寝。スポーツもできないし見た目もぼーっとしているので、友だちに自慢することもできない。もし、私が家にこんな居候を抱え込んだら、と考えるとクラクラとめまいがしそうになる。

 ただ、おじさんはとても優しく、「勉強しろ」「いい学校に入れ」といった世間の価値観を押しつけてくることもない。あくせく働き出世することだけが人生ではない、もっと豊かな過ごし方がある、と押しつけがましくなく身をもって示すおじさん。作品の中では雪男くんはいじめにあったり親子の問題を抱えたりしてはいないが、ブランコに並んで座り、小学生の自分とも真剣に話してくれるおじさんに実はどんなに救われていることか、とスクリーンの裏側までが透けて見えてくるようだ。

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