中国への連合国の補給路遮断を目的に旧日本陸軍が1944(昭和19)年3月、インド北東部の英軍拠点攻略を企図して開始したインパール作戦。
ほぼ全土を制圧していたビルマ(現ミャンマー)を足掛かりに計画が立案され、国境周辺は険しい山脈と谷が入り組み、補給が確保できないことが予想されながら、進攻作戦が強行された。
その結果、途中で食料や弾薬が欠乏し、飢えやマラリアなどで戦病者が続出。やがて英、インド両軍の強力な反攻に遭い、作戦は7月、正式に中止され、多数の犠牲者を出しながら、撤退を余儀なくされた。
病気や飢餓などで死者が相次ぎ、日本兵の遺体で埋まった撤退路は「白骨街道」と呼ばれた。
補給のない戦いと、地獄のような退却路を生き延びた元上等兵(静岡市清水区)に、悲惨な体験の記憶たどってもらった。
聞き手:静岡総局 岩間康郎
編集:時事ドットコム編集部
(2015年7月28日)
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