2016年08月05日12時00分
15日の夜8時になって、駅に行きました。佐賀に帰ることが決まったからです。軍隊とはこういうものかなと思いました。あれだけの患者を残して帰るわけです。
汽車を待っていた時、真っ赤な月でした。満月のような月でした。患者さんを残して後ろ髪を引かれる思いで、私は月を見詰めました。
今、長崎のことを思い出しても、本当に暑かったです。夏の暑さと原爆の熱風のせいでしょうか。焼けるように暑かった。
血だらけの多くの人がふらふらと歩いていました。患者さんはうめいていました。やけどがない人も、着物も破れてボロボロの様子でした。
(戦後、)長崎原爆の平和祈念式典には、何回も参列させていただきました。数年前に参列した際には、水を欲しがりながら亡くなった方への慰霊の気持ちを込めて、平和公園で俳句を詠みました。「静かなる噴水の秀(ほ)の祈りかな」。戦後70年になりますが、戦争は絶対だめですね。悲惨を生みますから。
本当に戦争だけはしてはならないと思います。だけど、世界中で戦争がまだあります。原爆の恐ろしさを分かっているのかと思ってしまいます。
終戦後は、しばらくつらい思いもしましたが、日本は平和でありがたいと思います。若い人に、平和を守るためには踏ん張ってもらわないといけないと思います。
聞き手:時事通信社 中出範尚
編集:時事ドットコム編集部
※インタビューは2015年7月に行いました
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