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列車で駆け付けた長崎 元日赤臨時救護看護婦の証言

2016年08月05日12時00分

知らなかった終戦

 それから私たちは、長崎市内の学校や救護所など、それぞれに分かれて、負傷者の治療をしました。私は防空壕のやけどの患者さんを見に行き、チンク油をだいぶ使って塗りました。

 ある防空壕のことです。16人ぐらいが中にいましたが、ほとんどの方が様子を見に行った翌日には亡くなっていました。1人だけ生き残っていた男性がいたのですが、耳にウジ虫がわいて、頭に響くと話していました。「ウジ虫を取ってください」というのですが、すぐにハエが寄ってきて、また卵を産みつけるんですね。かわいそうでした。

 50歳ぐらいの男性でしたが、その方も亡くなったと後で聞きました。チンク油が足りなくなって、家庭用の菜種油も使ってやけどの治療をしました。戦争の悲惨さを感じましたね。

 防空壕に行った帰りに、軍医さんと村長さんの家に診察に行きました。ちょうどその日が終戦の日でした。その時に米軍のグラマンが低空で飛んで来たんです。

 私が「敵機来襲」と叫んだのですが、軍医さんは「友軍機だ」と言って患者さんを落ち着かせました。私たちは治療に一生懸命で、玉音放送も聞いていなかったので、(終戦を)知りませんでした。その後、救護所に帰る途中、スピーカーで終戦を告げるトラックが走るのを見て、戦争が終わったことを知りました。

 戦争が終わったと言われても半信半疑でした。本当に終わったのだろうかと。ほっとしたとか、そういう気持ちはありません。ただ、信じられなかったんです。

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